「キャスティングボード」の美学

Life Heart Message 2018.12.10

 

南北戦争は、アメリカが南と北に別れて戦った大変な戦争であった。とても内乱どころかその戦闘区域の広さでは第一次大戦に匹敵し、作戦上も大戦を予見するような大きな戦争になって70 万人が犠牲になった。戦争が終わって間もなく大統領のリンカーンが暗殺され、副大統領アンドルー・ジョンソンがあとを継ぐことになった。彼は南部の人であったが、南部連合が分離したとき、ただひとりふみとどまってリンカーンの補佐役になったいきさつがあり、南部出身でありながら、南部を占領した北部の意志を実現するまわりあわせの大統領になってしまった。

 

もともとリンカーンの占領政策は寛大であったが、与党の共和党内部には南部を徹底的に弾圧すべしという急進派に押されて、ジョンソンは窮地に立たされる。議会が占領地域に対して過酷な法案を通すと、大統領はこれに拒否権を行使する。今度は議会が3 分の2 の絶対多数で拒否権をはねかえして法案を成立させてしまう。当時アメリカは西へ西へと進展している時代で、新しい州をつくって反大統領派の上院議員を急造した。ジョンソン大統領が、共和党旧

急進派の同調者だった陸軍長官スタント氏を罷免する事件がおこり、専制政治だといって下院で大統領弾劾の決議がおこなわれる騒ぎとなる。上院の3 分の2 の多数で弾劾が決定すると、大統領は辞職となるが、上院の反大統領派の勢力は3 分の2 にちょうど一人だけ足りず、このキャスティング・ボードを握るめぐりあわせに、無名の新人エドマンド・ロス上院議員がなった。彼自身はジョンソンがきらいでバリバリの急進派を売りものにして当選した一年生議員であったが、態度を明確にしなかった。党のボスからいわれても、ワイロを以っていても受け取らず、ついに同調しなければ暗殺するぞと脅迫めいてくる。選挙区のカンサスからの圧力もあったが、ロス議員は考えに考えていた。

 

当日、合衆国上院は、この歴史的な弾劾成立の瞬間に注目していた。狂信的愛国主義の時代、手段をえらばない政治過剰時代、上院議員ひとりずつ大審院長に名を呼ばれ、ロス議員は「無罪です」といった事により、アンドルー・ジョンソン大統領の名誉は救われた。ロスはその時、自分の政治生命も、未来も、財産や名誉もすべて失われたことを噛みしめていた。新聞はいっせいにロスを攻撃、裏切り者、売国奴、卑怯者と吐きかけた。友人も彼を見棄て、道を行く人はすれちがいざま「裏切者!」といった。ロスはそういう状態で任期一杯つとめたが、村八分にあって、淋しくニュー・メキシコにおちていった。なぜこのエドマンド・ロスは異を唱えたのか。政治家として彼は、三権分立の精神がおかされるのを座視するにしのびなかった。

 

力には精神はない。力はものでしかないことを、ソクラテス的な発想で、自分が完全に負けることを示そうとした。後年、新聞は今度は急にロスの勇気を称えだしたのは攻撃した新聞であった。ロスはニューメキシコがまだ州になる前、その準州の知事となって悔いなき人生を終えた。聖哲の金言に「悪は多けれど一善に勝つことなし」