「相克」の美学

Life Heart Message 2017.05.22

 

20 世紀前半のフランスで「最高の知性」として知られた詩人・批評家ポール・ヴァレリー、この明晰な「知性のひと」は、生涯に少なくとも4 度の大恋愛にのめりこみ、愛欲に戸惑い続けた「感性のひと」でもあった。それはヴァレリーの存在の二面をなしていた。

 

中年をすぎて当代きっての知識人の頂点に立った大詩人のサロンでの詩的な会話は集まった人々を魅了した。

 

社交界の名士の娘であったカトリーヌ・ボッジの積極的な知性に眼を見はり、もうひとりの自分を発見し、驚異の感情が知的二卵性双生児のような感じを抱いたヴァレリーは、数多くの往復書簡に愛の言葉を書きとめている。カトリーヌとの愛と傷つけあいの劇は、感性と知性の交錯と相剋に苦しめられるが、ふたりの往復書簡はぶ厚い『炎と廃爐』と題する一巻となって刊行されている。

 

1931 年1 月、優雅で美貌の若い女流彫刻家ルネ・ヴォーティエから胸像を作らせてほしいと申し出を受ける。仕事に熱中する美しい彼女に気がつくと恋情にふるえながらポーズをつづけるヴァレリーは、その想いを何通もの手紙に託した。一日に複数の手紙を書くことさえあった。しかし、どこか距離を置いた優しさは、かえってヴェレリーの恋情をますますつのらせ、豪華版の散文詩集に結実していった。千通になる手紙をルネに書いている。

 

ヴァレリーの崇拝者であったベルギーの高校教師であったエミリー・ヌーレは、みごとな「ヴァレリー論」に、彼女のヴァレリーに対する愛情に胸打たれ「一詩篇の思い出断章」と題する序文を、ヌーレの本に添えたエッセーにヴァレリーの想いが反映している。

 

ヴァレリーの最後の愛の人となった華やかな美貌の才女ジャンヌ・ロヴィトンに、心を惹きつけたのは、彼女の書いていた小説『光の日々』の草稿を読んで、みずからそれに手を入れ、さまざまな示唆をあたえた。数多くの文通でたがいに愛を語りあうことがふたりの愛の基盤をなし、毎週日曜日<愛にささげられた日>としてジャンヌの家を訪れる。

 

手紙には「きみのことを思うと狂おしくなる」と書き、その言葉に応じて彼女からも愛された。「わたしたちは存在しうるもっとも美しい作品を構成していた。極限においてこれ以上調和のとれたどのようなものをひとは懐抱し、想像し、創造しうるだろう?」と、老齢の身に蘇ったジャンヌへの愛に霊感を受けて総計約百数十編の実り多き詩の季節となる。

 

しかし、ジャンヌから出版社の社長との結婚を告げられ、惑乱と絶望のさなかに沈みこんだヴァレリーは、心情の絶望を変換する精神の力によって「知性のひと」として自己を恢復する。

 

強い暴風雨がパリを襲っていた1945 年7 月20 日ヴァレリーは彼の妻の腕に抱かれて息を引き取った。25 日、ド・ゴール将軍の意向に従ってトロカデロ広場で国葬の式典が執行される。ルネの制作したヴァレリーの胸像は国葬の行われたパリのトロカデロ公園の西側の林の中にひっそりと置かれていた。