「漢字文化」の美学

Life Heart Message 2016.08.17

 

中国で生まれた漢字は、中国大陸を超えて、台湾島、朝鮮半島、インドシナ半島、そして日本列島、琉球諸島など、東アジア世界へと広まった。漢字が共有されるそれらの世界を漢字圏、特に儒教や大乘仏教、道教、漢方医学、文字、語彙、食事のときの箸などの諸文化を含めて共通性をもつものとして捉えようとするときには漢字文化圏と呼ばれている。

 

「注意」はそれぞれの言語にほぼ同じ意味で、よく似た発音で定着している。また、「潜在意識」は日韓で用いる四字からなる専門性をもった熟語だが、中国では「潜意識」と短くなり、ベトナムでは「潜識」の二文字となる。「手紙」の二字は、韓国では「便紙(ビョンジ)」というが、中国人から見ればトイレットペーパーの意である。中国語では「手紙」は「信」と書く。日本語でも「私信」「信書」などがある。

 

周代の孔子の話したことばも「論語」など漢字で記されて残っている。老子の「上善如水」の句や、玄奘三蔵訳「般若心経」の「色即是空、空即是色」や、杜甫の「国破山河在城春草木深」の唐詩も漢字が使用され成立している。

 

概して日本人は、漢字こそが正式で格の高い文字だという意識を強くもっている。平安時代から、漢字から派生したひらがなやカタカナも日常的に用いているが、漢字に比べて歴史も短い。「万葉集」は、漢字だけで五七五七七で歌われた和歌であり、繊細なやまとことばを、さまざまな手法で漢字表記に託していた。

 

「鴨」という字を、感動などを表す終助詞の「かも」に当てることがしばしばあった。「なげきつるかも」という句は「嘆(なげき)鶴(つる)鴨(かも)」と二種の鳥が登場する。正倉院文書にも「嘆写成鴨」で「うつしがたくもなりにけるかも」と読む歌が残されている。室町時代の「伊京集」に「ゆだん」という語について、出家は「油断」と書き、公家は「遊端」、武家は「弓断」と書くと記されている。

 

柔軟な漢字を介したことが、ことばに変化を生み、「一所懸命」から、江戸時代に「一生懸命」が派生したのも、一つの領土に命を懸けた武家社会から、町人社会へと社会情勢の変化したことに伴っている。

 

当て字は、いつの時代にも日本人に好まれ、「さかずき」は「盃」や「杯」でよいのだが、「酒月」として、杯の中の酒に月が浮かんでいる情景が想像される。「運命」を「さだめ」と読ませ、「秋桜」をコスモスと読ませている。これは秋への移り変わりがもたらす、春とは逆の情感美を、桜が好きな日本人の余情に富んだ当て字であった。

 

日本人は漢字の音読みよりも意味やその由来を見出し、道徳的な情景とを見出す。「人という字は二人の人が支え合って成り立っている。ゆえに一人では生きていけないんだ」という人生訓にし、漢字の3 千年以上前の発生時と関係のない、助け合う精神を伝える新たな解釈を創り出したのは、教育学者の新渡戸稲造先生であった。