「純正」の美学

Life Heart Message 2016.08.24

 

「山路を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。情に掉させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生まれて、画(え)が出来る」有名な夏目漱石の「草枕」の冒頭の一文である。

 

カナダの天才ピアニストのグレン・グールドは「草枕」を評して、20世紀がもった最高傑作の一つと言った。「恋はうつくしかろ、孝もうつくしかろ、忠君愛国も結構だろう。

しかし、自身がその局に当たれば利害の旋風(つむじ)に巻き込まれて、うつくしき事にも、結構なことにも、目が眩んでしまう。従ってどこに詩があるか自信に解しかねる。」草枕の主人公の画家の平画面に影と映るだけの冷え冷えとした一遍に見えるが、ところが「余が「草枕」

いう談話に曰く、「普通に小説と称するものは ……世の中に立って、如何に生きるかを解決するのが主であるらしい。」それに対し「草枕」は、「唯美しい感じを覚えさせすればよい」小説であると、記している。

 

ゲーテは「意欲せざる天の星は美しい」という句を引用したショーペンハウエルは、「月が崇高であるのは、月は我々に一切の関わりなく、地上の齷齪

(あくせく)をよそに、空を渡っていくからである。すべてを見そなわし、しかも何一つ手出しをすることはないからである。月の眺めとともに、意識から意志は辛苦もろともに消え去り、意識はただ純粋に認識するものとしてのみ残る。 ……月は、我々の心情にこの上なく慈愛深い感銘を与えるにつれて、いつしか我々の心の友となる。」

 

「草枕」の第12 章には「余は画工である ……たとい人情世界に堕在するとも、東西両隣の没風流漢よりも高尚である。 ……詩なきもの、画(え)なきもの、芸術のたしなみなきものよりは美しき所作が出来る。人情世界にあって、美しき所作は正である。義である。直である。正と義と直を行為の上において示すものは天下の公民の模範である」

 

古来、「正直の頭(こうべ)に神宿る」と言われ日本においては<正義>とは正直のことであり、素直純朴であることであった。カントは、「純朴さとは、人間性にもともと自然な正直さが、もはや私たちの第二の自然となって身についてしまった扮装の態(わざ)、つまり擬態をよそに発露するものである」と、そして「純なる正直こそ、生涯の最後の瞬間にもなお心情の奥底の縁(よすが)となるべきもの」「その純正さのうちに、優しいいつくしみの情感である憐(あわ)れが入りまじる。」と言った。

 

「草枕」では「憐れは神の如らぬ情で、しかも神に尤も近き人間の情である」と。カントは、憐れという「いつくしみの情感には頬笑みが結び付けられるし、現に大概、結び付いている」と付言し、漱石も「傍から見て気の毒の念に堪えぬ裏に微笑を包む同情である」「故意を取り除ける」こと、「拙を守り、故意を取り除けた「正直」、ありのままに書き得る人 ………その人は描いた功徳に依って正に成仏することが出来る」と・・・・・・