「アゴン」の美学

Life Heart Message 2016.09.14

 

古代オリンピックは、アテネから遠く離れた、ペロポネソス半島北西部エリス地方の山間の地であったオリンピアで紀元前10世紀に開催されたとされている。それはオリンピアはゼウス神の神域でテラコッタの神像が出土したことからであり、ゼウスは山々や天候の神であったからである。古代オリンピックは、国という枠を超えて全ギリシア世界から選手が参加する。全ギリシアをあげての祭りという意義を持っていた。

 

祭典は、紀元前8 世紀から紀元後4 世紀に到るまで、途絶えることなく営々と4 年に一度開催され続けた。国家間の争いの絶えなかった中にあって、休戦が宣言されると、各ポリスは順次休戦期間に入り、町には喝采があふれ、使節は客人としてポリスの公式の宴に招待された。

 

だが、この休戦協定が破られるという不幸な事態も起こった。前420 年、スパルタは1000人の軍隊をエリス領に送りこんだ理由で、エリスから罰金刑を言い渡され、この年のオリンピックに参加することができなかった。休戦協定違反は、高額の罰金であったという。

オリンピアは芸術家の競演の舞台でもあり、無数に立ち並ぶ優勝者たちの彫像が神域を飾った。ギリシアの神々の姿こそスポーツ選手の似姿として表現している。

 

オリンピック優勝者にオリーブの冠しか与えられなかったのは他の民族からすればなんとも奇妙に思われたが「金のためではなく、ただ、卓越性(アレテ)を求めて競技する」自負があった。オリンピックの歴史を考えるうえで、アレクサンドロスの最も大きな功績は10 年間に及ぶ遠征で制服した三大陸にまたがる広大な領土に、ギリシアの体育競技と競技祭典を普及させたことであろう。

 

その後オリンピックは、ローマによるギリシア征服によって、一時衰えたが、ローマ帝政の開始とともにオリンピックはふたたびめざましい復興をとげ、2 世紀半ばごろ、その人気は絶頂期を迎える。その後ローマ帝国に異民族がたびたび侵入するようになり、5 世紀から8 世紀までの間に民族移動の波に洗われ、聖域は荒廃し、さらに地震、洪水、地滑りなどの自然災害が襲い、オリンピアは完全に破壊される。

 

時代は下り、1894 年6 月23 日、こんにちオリンピック・デーとして記念されるこの日。クーベルタン男爵の提唱に従い、各国の代表者が一堂に会したパリ国際スポーツ会議は満場一致でオリンピック競技の復活を宣言し、近代オリンピックが誕生する。熱烈なギリシア礼賛者であった詩人バイロン、オスカー・フイルド、シェリーは「われわれはみな、ギリシアである。われわれの法律、文学、宗教、芸術、それらの起源は、ギリシアにある」と、近代西欧人の自意と密接に重なり合っていた。

 

第一回近代オリンピック・アテネ大会の最終日のマラソンにおいて、異様な興奮の中一位でゴールしたのは、無名のギリシアのスピリドン・ルイスであった。10 万人を超えたという観象は類のない歓喜と熱狂に包まれ、国王までが、我を忘れて勝者を国王席まで連れていった。

フェアプレーで「常に第一人者たれ、他を凌駕せよ」ホメロスの声が聞こえる………