「志向」の美学

Life Heart Message2016.10.12

 

1886 年の夏、58 歳のトルストイは、貧しい後家さんのために乾草をみずから運んでいる時、荷馬車に片足をひどくぶつけ、その傷がもとで丹毒を起こして重病にかかった。40 度の高熱が続き、吐き気がとまらず、すっかり衰弱し、トルストイは病床で自分の死を意識するにいたった。「・・・・いみじくも・・・・この状態は、とても素晴らしいので、わたしはずっといつもこの状態にありたいと思います」と、従妹のアレクサンドラ・トルスターヤにあてて書いている。

 

その年の9 月、アンナ・ディテリストが、トルストイの容態を心配した長文の見舞いをよこし、その中で「もし万人にとって必要なトルストイのような人間まで死なねばならぬとしたら、死はいったい何のためにあるのか?」と書いていた。トルストイのこの返事が「人生論」の草稿となったのである。

 

1888 年に出版されたが、検閲によって全面的に禁止された。「正教の教義に対する不信を植えつけ、祖国愛を否定している」という理由だった。やむなく、国外での翻訳によって出版することになり、英語版でニューヨークで出版、つづいてデンマーク、チェコ、ロシアではせめて作品の一部だけでも紹介しようという試みがなされ、ペテルブルグの週刊誌に掲載された。

 

全文が単行本となったのは1891 年スイスのジュネーブ版が最初で、その後、1903 年イギリスで「ロシアでのトルストイ発禁集」の第9 巻に収められた「人生論」が、それ以後の出版の底本となっている。

 

重病の床にあって死について考えることから、逆に生の意味を問い直そうとしたトルストイの永年にわたる思想的遍歴のあとで到達したこの「人生論」正確には「生命について」と訳されている。

 

著作の中に、兄の死を通して「この思い出は、わたしの親友や兄の生命が理性の法則に合致していればいるほど、そしてまたその生命が愛のうちにあらわれたことが多ければ多いほど、ますます生きいきしたものになる」

 

「この目に見えない、死んだ兄の生命は、わたしに作用を及ぼすだけでなく、私の中にまで入り込んでくる。兄の独自な生きた自我、世界と兄の関係が、世界とわたしの関係になってくる。・・・・生前と同じどころか、何層倍も強く人々に作用しつづけるのだ、・・・・

 

死後も作用しつづける力を残した人たちを見て、われわれは、なぜその人たちが、自分の個我を理性に従属させて、愛の生命に身をゆだねながら、生命の消滅の不可能を決して疑おうとせず、また疑いえなかったかを、観察することができる。・・・さらに自分の生命をも探求することによって、自分のうちにもその根底を見出すことができる」

 

「苦しんでいる者に対する直接の愛の奉仕と、苦しみの共通の原因である迷いの根絶とに向けられる活動こそ、人間の直面する唯一の喜ばしい仕事であり、それが人間の生命の存ずる、奪われることのない幸福を与えてくれるのである。」

 

結びに「人間の生命は幸福への志向である。人間の志向するものは与えられている。死となりえない生命と、悪となりえない幸福がそれである」