「アナログ」の美学

Life Heart Message2016.10.19

 

演算処理、記憶容量をどこまでも大きくする技術は、コンピュータの性能であり、ぼう大な数字、文字の情報をきわめて高速に絶対に正確に処理するのが、大型コンピュータの役割であったが、コンピュータの扱う対象が、数字、文字を超えて、画像になり、知能、知識になり、人口頭脳へと進化している現代である。

 

画像は、基本的にアナログ量であり、その画像パターンも、また色合も0 対1 ではなく、微妙かつ複雑な連続変化であり、アナログ量をアナログとして処理するファジィとカオス工学で、あいまいな量を、あいまいな情報を扱う新しいニューロの出番となる。それは技術がいよいよ人工物を超えて人間そのものや社会現象あるいは自然現象に迫ってきている。

 

しかし、技術の適用が立ち遅れている領域がある。それが人間、社会、自然であり、人工物ではなく、人間の完全な制御の手にないものである。人工物はデジタルの世界であり、人間、社会、自然はアナログの世界であるからだ。自然の状況、社会の変化、人間内奥は、複雑きわまりないアナログであり、デジタル・コンピュータの手に負えないのだ。デジタルというと観念的には何かごまかしのない、正確な、という感じがする。つまり1 対0 に置き換えて、あるかないかということだから分かりやすい。

 

それに比べてアナログは、連続的な形に量が関係してくるため、白もあり黒もあり灰色もあって濃淡まである。だから、何かあいまいな感じがする。人間の生活は実に不確実で、あいまい模糊としているということである。人間が朝、目を覚ます、これが生活の始まりである。始まれば動作はすべて連続形である。これはアナログである。つまりアナログは太古の昔から連綿として続いている実体である。

 

ではなぜ、今すべてがデジタルなのか?これは量と時間が関係し、人間が増えれば多くの人々を早く納得させ、取り決めていかなければならない。それには数でいくのが手っ取り早い。私たちの周囲には大は政治のことから小は商品広告に至るまで、その思想に支配されているものが実に多く、とにかく何かを決めなければならず、そのためには情報が必要であり、量が増えれば速さが要求されるために、デジタル化の必然性は厳として存在す

る。これは否定できない事実である。

 

ゆえにアナログとデジタルの使い分けのヒューマン・サイエンスが必要なのである。音楽の世界でロックに限らずポップスなどのコンサートでは、電子的に増幅したり特殊な音響効果を作り出したり、アンプもスピーカーもその極限にまで音量を上げて演奏する音楽と、クラシック音楽はその種の機器はまったく使用せずアコースティックな楽器の音か、生の歌声である。ホールで聴く音楽は増幅などしない生の音である。

 

アナログはうるおいと人肌のやさしさがあり、まろやかに身を包んでくれる。音の太さというか、生命力が感じられ、芯がある。感覚的であるが、アナログには暖かさが感じられる。天然繊維と人口繊維、また木と金属との相違ともいえようか。