「巨匠」の美学

Life Heart Message2016.11.16

 

崇高な画家、先端を行く技術者、革新的な建築家、大胆な軍事戦略家、独創的な発明家、エキセントリックな文筆家、飽くことを知らない科学者、こだわりの強い巨匠、認知された私生児、寛大で、その美しい容姿で多くの人を夢中にさせ、誇り高く意欲的な万能の天才、レオナルド・ダ・ヴィンチ・・・・・時を経て無理をした身体は弱くなり、この時期医者は多くの薬を処方したが、レオナルドは医者のいうことを信じなかった。たとえ、高齢であっても、健全に生きるために、食べる物に由来すると信じて、常に食習慣に注意していた。彼の手稿に書いた面白い短詩がある。

 

「もし健康でいたいなら、この規則を守れ。/食欲がない時は食べるな、夕食は控えめに。/よく噛んで、食べようとするものは、/十分に調理して、シンプルな料理で。/薬を飲む者は、間違った情報に惑わされている。/怒るのをやめて、不快な空気を追い払え。/姿勢を正しくするように、食卓を離れる時は、/昼寝はするな。/ワインは控えめに少しずつ何回も。/トイレに行きたい時は我慢するな、もたもたするな。/もし運動するなら、小さな動きにしろ。/お腹をあお向けにして、頭をさげるな。/夜寝る時は、きちんと布団をかけるように。/頭を休めて、心で楽しいことを考えるように。/肉欲を避け、食養生に留意せよ。」

 

レオナルドの買い物リストには常に豆類と野菜、穀物があり、これらの食材で美味しい食事をしていた。この時期、ダ・ヴィンチはヴァティカンの城壁の中で太陽光線を集光する反射鏡を試作していたが、ドイツ人の職人鏡屋と鍛屋の怠け者に苦しめられ、我慢できず、ジュリアーノ・デ・メディチ宛に6 回も苦情の手紙をしたためている。この時のレオナルドの給料はひと月33 スクーディだった。ラファエッロガ教皇の3 つの居間のフレスコ画で受け取った1200 スクーディに比べると、あまりにも悲惨な安さである。

 

レオナルドがこのような屈辱的な条件を受け入れた理由は「嘆きのノート」にある。絶対に外部に漏れてはならない危険を伴う活動であったために、わずかな給料を受け取ることを決めたのである。ジュリアーノが亡なり、自分を取り囲む空気が変わることを悟り、フランスに着いた時64 歳であった。フランス王フランソワ1世は、命名高きダ・ヴィンチに小さな城を提供してもてなしを用意し、彼の画室にはあり余るほどの広さであった。生涯手放さなかった「モナ・リザ」や「聖アンナと聖母子」、数か月前から描き始めた「洗礼者聖ヨハネ」が、快適画架の上にあった。

 

フランソワ1世は、年間1000 スクーディの給料を授け、何を置いても大切にし、レオナルドはようやく今、時が流れるままに身を任せて、この時を楽しみ、ますます難解で理解しがたくなっていく哲学的省察に熱中する。王は、フランスにレオナルドの存在があるだけで十分、王国に栄誉を与えることを確信していた。

 

レオナルド・ダ・ヴィンチは人間の存在と魂を徹底的に研究して、思索と絵画の世界を創り上げ、1511 年5 月2 日「立派に費やされた一生は長い」「よく用いられた一生は安らかな死を与える」と手記に書き、自然の理解を通じて人間を愛し、つねに平和を求めていた偉大なヒューマニストは67 歳をもってこの世を去った。

 

慧光照無量。