「一音」の美学

Life Heart Message2016.11.30

 

1947 年にモスクワに生まれたヴァレリー・アファナシェフは、モスクワ音楽院ではヤコブ・ザークに師事し、エミール・ギレリスを生涯の恩師として敬愛していく。師は、すべては音楽なのだと、練習している曲を“内なる耳”で聴こうとすること。音楽だけでなく、人生そのものを聴くように、人生のなかに音楽を聴きとるように教えた。ヴァレリーは、美しい音を信じ、美そのものであるような音を求めていた。ピアノは生命組織であり、生きた実体、生物だと感じ、ピアノと握手することが必要だと思ったという。

 

1968 年当時の東ドイツ、ライプツィヒのバッハ国際コンクールで第1 位となった後、72 年にブリュッセルのエリザベート王妃国際コンクールで優勝して、ヨーロッパでのコンサート活動の機会を得られるようになった。ノーベル文学賞を受賞したパステルナークを有名にした小説「ドクトル・ジバコ」はロシア革命に批判的であったため、ソ連当時は、授賞式に出席すれば、帰国は許さないと警告していた。パステルナークは「ロシアなしでは、生きて行くことができません」と言ったが、授賞式に出席したパルテルナークに再入国は許されなかった。

 

この例を通じてヴァレリーを説得されていたが、1974 年、まだ、20 代後半の身寄りのない彼は、ベルギーに亡命する。当時、ヨーロッパへ亡命した同時代の音楽家たちがソヴィエト時代の体験を虚実織り交ぜて語り、商業主義に乗っていくさまをみて、ヴァレリーは自分自身の誠実さと堅い矜持を守って、思索し音楽表現に尽力する。

 

彼は言う。「ただひとつの音だけがある。その音はそれ自身のように響く」と、ベートーヴェンの見解と同じく、万物はただ一点のみに存在する。シェイクスピアの悲劇も、ベートーヴェンのソナタもみな同じで、私たちの人生と同じく、誰もがベートーヴェンを弾く者、聴く者はみなベートーヴェンであると言うこともできる。」「私たちは自分自身だけではなく、私たちはこの世界に生きていて、歴史でもあり、すべてである。自らの内に人類の歴史に起こったこと、ある意味では、時間というもの全体から、そして未来からさえも、人は逃れることはできない。流れに逆らうのであれ、潮流となるのであれ、群衆に従うのであれ、距離を置くのであれ、あなたが、何をしようと、それは時間であり、歴史なのである。あなたは乞食であり、王であり、女王であり、モーツァルトの「魔笛」である。私たちは私たちの歴史です。私たちは世界なのです」

 

ヴァレリーはピアノを弾いていて涙を零(こ ぼ)しそうになるベートーヴェン最後のソナタ作品111の第2 楽章、とくにその終わりを弾くとき、また、シューベルトの最後のソナタの始まりで自分自身に涙するのを耐えなければ、曲を弾き通すことができなくなってしまうから、このソナタの終わりだって危険です。私が思うに、シューベルトやベートーヴェンも作曲しながら、ときには泣いていたのではないだろうか・・・・」

 

エドモンド・パークは言った。「悲壮美はもっとも感動的な美しさにみちている」と…