「信念」の美学

Life Heart Message2017.06.26

 

1889 年4 月16 日、ロンドンに生まれた男子は、極貧の少年時代を送ったが、舞台で頭角をあらわし、アメリカで映画デビューした後は、瞬く間にスターに上り詰めた。対して同じ年の4月20 日、オーストリアで生まれた男子は、幼少より画家を志すが頓挫し、親の年金で暮らしていたが大衆を引きつける演説によって、1933 年政権の座につく。4 日違いで生まれ、同じ髭を持った20世紀の光と影。一方はナチスドイツのヒトラー。片方は笑いこそが困難に立ち向かう武器であることを証明したチャップリンであった。

 

ヒトラーと同じようなヒゲをはやし、人違いされる喜劇の2 役の『独裁者』に製作を発表すると、巨大な市場を握っていたドイツは妨害工作を始め、チャップリンを徹底的に排除。映画産業界もみずからの保身のために、この『独裁者』の製作に反発した。なにより、アメリカの世論の多くは恐慌を切り抜けたリーダーとしてヒトラーを英雄視する向きもあった。そんな最中、世界中が恐れていた最悪の事態が起きる。

 

1939 年9 月1 日ヒトラーがポーランドに侵攻して、第2 次世界大戦が始まる。そんな中8 日後—―――チャップリンは、あたかも参戦するかのように『独裁者』の撮影を開始する。

 

破竹の勢いで進撃するドイツに、オランダ、ベルギー、フランスが降伏。ヒトラーが征服者としてパリに入城。まさに世界がその恐怖におののいたその翌日、たった一人でヒトラーに真っ向から闘いを挑むかのように、推考に推考を重ねた、かの有名な『独裁者』の演説を撮影する。「この演説をすると売り上げは100 万ドル減る」と社の者が反対したが、チャップリンは「500 万ドル減ったって構わない」と信念を貫いた。

 

戦局はますます激しくなり、世論は打って変わって『独裁者』の映画を求め始め、アメリカ、イギリスを初め各国で記録的大ヒットとなる。チャップリンのユダヤ人の床屋が、ヒトラーをイメージした独裁者ヒンケルに勘違いされ、大群衆の前で演説することになる。

 

その結びの演説に、「私は皇帝なんかにはなりたくない。そんなのは私のやることじゃない。………私たちはみんな、お互いを助けたいと望んでいる。人間とはそういうものだ。他人の不幸によってではなく、お互いの幸福で支えあって生きたい。私たちはお互いを憎んだり軽蔑したりしたくない。………あなたたち、民衆は力を持っている!機械を生み出す力を。幸福を作る力を。あなたたち、民衆はこの人生を自由で美しいものにし、素晴らしい冒険にする力を持っている!………その力を使うんだ!力を合わせて、新しい世界のために闘おう!………人間の魂には翼が与えられていた。今、やっと飛び始めた。それは虹の中へと飛んでいく―――希望の光へ、未来へと。輝かしい未来は、君や僕、そして僕たちみんなのものだ。上を向いて、ハンナ、元気を出して―――」

 

人間の良心に訴えたチャップリンの叫びが聞える。