「詩人」の美学

Life Heart Message2017.06.05

 

アメリカが、ずるずると南北戦争に突入し、自分の国が分裂しつつあったとき、当時無名の詩人ホイットマンは自意識の強い新しい詩形の先駆者として登場する。音節など無視した詩人は当時いなかった。初めての自由詩には「ぼくはからだの詩人/そしてぼくは魂の詩人/僕は大地の奴隷とも、主人とも、分け隔てなく歩む/どちらもぼくのことを理解するように、ぼくはどちらの中にも入っていき、/主人と奴隷の間に立とう」

 

95 頁の『草の葉』の初版本は酷評されたが、尊敬する哲学者で有名なエマーソンに送ったところ、返事の手紙に「機知と思慮に富んだ、もっとも卓越した作品です……あなたの自由で勇敢な思想をうれしく思います……偉大なる生涯の門出に立つあなたに挨拶を送ります」ホイットマンは感激し、了解なしに、『草の葉』の第二版にエマーソンの手紙を収録する。そしてこの第二版に、官能的な連作「アダムの子供たち」を付け加えていた。

 

エマーソンはこの点に「不幸な異端に巻き込まれる危険性がある」と注意したが、ホイットマンは、「削除は去勢みたいなものだ」「ぼくは充電されたからだを歌う」と師匠の願いを斥け出版する。エマーソンの予言通り、その詩集は抗議の嵐に迎えられた。

 

1862 年の冬、南北戦争の血みどろの戦いが頂点に達し、ホイットマンは「彼らのかけがいのない血が、戦場の草を赤く染めている」光景を見て、彼は死者や瀕死の兵士を助けることに献身する。

 

それから3 年間、彼はいくつかの連合病院でボランティアとして包帯を巻く仕事をし、「精神と肉体のある程度の支えとして、8 万から10 万の傷病兵」の世話をした。彼は北軍、南軍、両軍の兵士たちを看護した。「ぼくは彼らを放っておけない。時には若者が発作的にぼくにしがみつき、ぼくは彼のためにできることをする」ホイットマンは兵士に、レモネードやアイスクリームや下着やタバコを買ってやったり、時に詩を朗読し、彼らの魂を看護した。

 

「あの(戦争中)3 年間は、私の生涯で最も深い教訓だったと思う」「あの時ほど、休むことなく心底没頭したことはない」「人びとはいつもぼくに「ウォルト、君は病院の患者たちに奇跡を行っているんだよ」と言った。そうではなく、ぼくは……ぼく自身に奇跡を行っていたのだ」戦争の流血は彼に衝撃を与えた。「外科医のメスの肉を切り裂く刃音/骨を齧る鋸の歯、苦し気な息づかい、こみ上げる鳴咽、流れ落ちる血しぶき」。

 

遺体の悪臭の真中で、ホイットマンは、外科医が触れることのできない人間の「一番奥に残っているもの」を『草の葉』の第1 ページに記す「頭のてっぺんから爪先までいのちの営みを私は歌う/顔つきばかり脳髄ばかりを「詩神」は愛でず、すべてが揃った「人体」こそ/遥かに尊い宝のはず」

 

彼は最終版『草の葉』を、死の影のなかで書いた新しい銘詩には、「さあ、とわたしの「魂」が言った/わたしの「からだ」のためにこんなふうな歌を書こう。(わたしたちは一つのものだ)」