「海」の美学

Life Heart Message2017.07.03

 

日本の古典には、海が少ないといわれる。だが、『古事記』の国生(くにう)みものがたりに、海潮(う なじお)をかきまわした予の先から滴る潮が積って、島が生まれたと語る。古代の海は、未知の生物の潜む畏れを秘めていたが、そのただ中に、人はまず生活すべき現実として島を存在させた。

 

『万葉集』には、白水郎荒雄が暴風雨によって遭難し、海に沈んだのを悲しむ歌が残さている。「沖行くや赤ら小船に裏遣らばけだし人見て披き見むかも」沖行く赤塗りの小船にお土産をもたせて、海の彼方に荒雄がいて、なつかしい故郷の土産を開いてみるだろう。と山上憶良は歌った。

 

文徳天皇の時に、何かの事件にかかわったとされて流された在原行平の歌に「わくらばに問ふ人あらば須磨の浦にもしほたれつつわぶとこたへよ」貴人の精神のさびしさが投影されている。古代の罪びとは、多く島に流された。赦免の使いは必ず来るとは限らない。

 

絶望と期待とを交々抱いて待つ浜辺は、時に鬼界ヶ島の俊寛のような悲劇も生んだであろう。『平家物語』の合戦の渚は、生死を分かつ苛酷な闘争の場であった。

 

江戸260 年の鎖国の影響をもろに受けて、海浜民族的に島にちぢこまって生きてきたが、明治43 年(1910 年)「尋常小学校読本唱歌」に、作詞・作曲者ともに未詳の「我は海の子」の歌が、“海国日本”を大いに誇った。「我は海の子 白波の さわぐいそべの松原に………」小学校に入ると、荒波にザブンと放りこまれ、徹底的に心身を鍛えられたものであった。

 

かの夏目漱石は江戸っ子であったが、満22 歳で生まれて初めて房総で大きな海を見て感動し、漢詩14 首を謳った。そのなかに「如今 閑却す 壁間の畫」豪快に波うつ本物の海を見て、これからは掛軸の山水画などかえりみないことにする、と記している。

 

明治38 年(1905 年)5 月27 日、日本海海戦において帝政ロシアのバルチック艦隊を激滅。史上最高の大勝利に輝いた日が「海軍記念日」となり、国民は祝った。司馬遼太郎『坂の上の雲』で有名となった秋山真之作戦参謀の「本日天気晴朗ナレド浪高シ」で名文家の誉れが高い。他の参謀の暗号まじりでつくられてきた大本営の報告電報は「アテヨイカヌみゆとのけいほうにせっしノレツヲハイただちにヨシスこれをワケフウメルせんとす」敵艦隊見ゆとの警報に接し連合艦隊は直ちに出撃これを撃滅せんとす、に秋山がすらすらと書き入れた一行。

 

司馬遼太郎は「単なる作戦用の文章が文学になってしまった観があった」と手ばなしでほめている。昭和一ケタ生まれが、ひとしく歌った「我は海の子」が、戦後の昭和22 年(1947年)に惜しまれつつ教科書から姿を消したのは、いちばんおしまいの七番の歌詞に「いで軍艦に乘組みて/我は譲らん海の国」とあったからであろう。

 

エウリピデスは謳った「海はすべての人間の悪を洗い流す」海の象徴性は「測り知れない真実と英知、良心を表す」とあり、Ocean のシンボルの海(大洋)は地球全体を取り巻いている点にある。