「共生」の美学

Life Heart Message2016.01.23

 

東京美術学校の校長の職を追はれ、官立学校の地位によって、自身の抱懐する日本美術の理想を実現しようとした野心が挫折した岡倉覚三(天心)は、ただちに志を同じくする美術学校の同僚有志と日本美術院を創設し、在野の浪人学者として理想の実現をめざして征く。この時、天心41 歳であった。そして「内からの勝利か、しからずんば、外からの強大な力による死あるのみ」の一文をもって「東洋の理想」を脱稿する。以後、天心は大正2

年51 歳で病歿するまで在野の浪人でありつづけた。

 

昭和15 年といえば、大東亜戦争の前年、皇紀二千六百年を祝う国家的行事がおこなわれた年で、“日本”という主題が国家的規模で意識さられた時局に、師天心亡き後、橋本雅邦をはじめ日本美術院の僚友たちも泉下の人となり、ひとり生き残った老画家横山大観は東京芸術大学付属美術館に於て、「海山十題展」を公開する。一気呵成に描かれたうねる波頭のつらなる大海原を旭日が照らしている「黒潮」を冒頭に、富士山の春夏秋冬を描いた「霊峰四趣」で終る20点に、大観の日本への祈りがこめられていた。

 

「アジアは一つである」と「東洋の理想」の冒頭に天心が書いたこの言葉は、戦争中に“大東亜共栄圏”の聖戦目的に利用されて有名になったが、天心が抱いた壮大な理想を歪曲している。「アジアは一つである。二つの強力な文明の共同主義をもつ中国と、ヴェーダの個人主義をもつインド人とを、ヒマラヤ山脈がわけ隔ててゐるといふのも、両者それぞれの特色を強調しようがためにすぎない。雪を頂く障壁といへども、すべてのアジア民族

にとっての共通の思想遺産というべき窮極的なもの、普遍的なものに対する広やかな愛情を、一瞬たりとも妨げることは出来ない。かうした愛情こそ、アジア民族をして世界の偉大な宗教の一切を生み出さしめたものであり、地中海とバルト海の海洋的民族がひたすら個別的なものに執着して、人生の目的ならぬ手段の探求にいそしむのとは、はっきり異なってゐる」

 

明治維新後、過去の思想的遺産を捨てて、自衛のためとはいへ、文明開化日本が採用した西欧文明は人生の目的たりえなのである。この自意識は、漱石、鴎外、内村鑑三ら心ある明治の知識人が抱いていたが、天心は生来の浪漫的気質にもとづく壮大なヴィジョンをもっていた。ベートーヴェンの第五交響曲を聴いたとき、「これだけは日本にない」と叫んだという。

 

ユダヤ・キリスト教徒のアメリカ人にむかって「より高い理想のためには死に至るも堪へうるやうな、俗世を超越できるような信念を、我々は宗教と理解するのである」と、語った天心は、「偉大な芸術とは、その前でわれわれが死にたいと願ひさへするものである。

 

芸術は、かくて、宗教のつかの間の休息であり、また無限を求めて遍歴の旅に上らんとする人間の愛が、半ば無意識にふと足をとめて、すでに達成された過去を見遣(みや)り、漠然たる未来に眼を向ける一瞬にも似ている。」

 

地球問題群を多く抱えている今、「アジアは一つ」から「世界は一つ」とした「人類共生」のための思想と新しき「自然環境科学技術」が、世界が希求しているといえる。