「涵養」の美学

Life Heart Message2016.02.20

 

文化と訳された西欧語の語源ラテン語の cultura は本来耕作や栽培などの農業的意味をもつものであった。文化とは、あたかも農家が田畑を耕し収穫を得るのと同じように、学問、道徳、芸術、宗教のごとき4 つの心的能力の幾つかを培って得た精神活動の結実であった。しかし、そのような人間の心的能力は、自然に生長するものではなく、まさしく教育によって涵養され発展するものである。この「教育」という用語は、「教」はミチビク(導也)という意味と、ウツ(小撃)という意味の会意文字であり、本来は指導鞭撻を意味し、また、育

は『説文』に「育、養子使善也」とあるところから、「教育」とは、元来、人間が善をならうべく指導する意味であった。『礼記』の学記」篇の中に「教(おし)ふる者は善を長(ま)して其の失を救ふものなり」、即ち、人間の善を助長して失から救うというところに教育の根本的な意義があると謂う。

 

このことからみて教育に於いて重視されたのは、学識よりもそれ以前の、学習に臨む者の心構えであった。つまり、教育の根本は徳育にあった。教育には自然・家庭・社会の環境による教育も含まれ、学校教育もさることながら、根底をなすものは、人間性の教育、即ち徳育による人格教育を通じて文化的存在ならしめることであった。また、環境教育の1つとして、美的生活環境を造成することを通じて、芸術の生活化・生活の芸術化を通じて人格的美徳を涵養するということも含まれよう。明敏な芸術的本能をもっていた古代ギリシア人は、芸術から精神性や、思想と感情の深さや、心の乱れ或いは魂の平和を得るだけではなく、芸術によって自己を形成し、尊厳美、優雅美を再現することができることを知っていた。

 

プラトンに於いては、美や芸術は人間形成に大きな影響を与える故に、理想国家の守護者に適した教育として、身体のための体操、魂のための音楽・文芸などの芸術教育が要求された。アルストテレスにあっても、最善の国における教育方針として4 つの課目(読み書き・図画・体操・音楽)の中、芸術と関係のある課目が半分を占めている。それらはいずれも子どもたちを器量の大きい自由人に育て上げるに適した教科であると考えられていた。

 

一方、古代中国の周末春秋の頽廃的な乱世にあって、有徳の士たる青年の教育に対話を通じて献身した孔子は、自ら「黙(もく)してこれを識(しる)し、学びて厭(いと)わず、人を誨(おし)えて倦(う)まず、何か我れに有らんや」「詩書礼楽を以て教ふ」と、「礼は以て人に節し、楽は以て和を発し、書は以て事を道(い)い、詩は以て意を達し、易は以て化を神にし、春秋は以て義を道(い)う」とここにも芸術的典籍が教育に必須であったことが窺われる。

 

『論語』の「仁に里(お)るを美と為す」からも分るように、孔子の美学思想は、人格美についての人間美学であった。