「真商」の美学

Life Heart Message 2017.03.13

 

日本が歴史の足どりを改めた明治時代。「真善美日本人」を明治24 年3 月に発刊した思想家三宅雪嶺(1860~1945)である。また5 月にその反対の「偽悪醜日本人」を出版したのであった。時に32 歳の若さだった。この書物の趣旨は、まさに日本の真善美による世界貢献を説くところにあった。その任務とは「円満幸福の世界に進むべき一大任務」である。

 

そして任務を負うものは個人である。ところがこの時代の誰もが背負った課題は「国家と個人」をめぐる課題であった。

 

雪領は文部大臣、京都帝国大学初代文科大学長、毎日新聞、朝日新聞からの招聘など、すべてを彼は辞退した。「いやしくも宇内(世の中)に向こうて正義を鳴らし、毅然として善の道途に闊歩せん」と思えば、やがて至理、広義が明らかになり、争いもやむだろうと考えたのである。雪嶺にとって正義とは、善をきわめる上で、まず主持してあえて一毛も仮借してはならないものだった。正義を守ることで理性の働きは完全となり、善悪が判別され、道徳も行われると…「偽悪醜日本人」によると、紳商である。紳商とは何か。

 

雪嶺はこれを「名を公益に仮りて私利を経営」する者とし、彼らは公共の事業を請け負う姦商:博奕(ばくえき)商だという。この不善をなす商業主義を、どう解決すればよいか。この課題をみずから生涯の課題とする人物が渋沢栄一(1840~1931)であった。

 

彼は旧来の商人でもなく、士族でもなかったとこにある。豪商の出ではあっても、農民であった。一時幕臣となり維新後官吏となっても、やがて平民となり、官吏もやめ、以後の約60 年間を、徹底的に民間ですごす生き方が困難な課題の解決者として、おびただしい企業にかかわっていく。

 

彼の有名な『論語と算盤(そろばん)』に「士魂商才」がある。これは武士の精神と商人の才覚をあわせもつことの大事さを提唱し、人間そのものが問われる、この点が基本にあった。「商才というものも、もともと道徳をもって根底としたもの」と見たことが、重要な鍵である。

 

渋沢は「不道徳、欺瞞(ぎまん)、浮華(ふか)、軽佻(けいちょう)の商才は、いわゆる小才子(こざいし)、小利口(こりこう)であって、決して真の商才ではない」「商人と云うはまことに天賦の美名」だといい、「大に商売の道を弘むれば」「遂に国家の富盛を助くるに至らん」とさえ揚言した。

 

明治44 年に「善の研究」を著した哲学者・西田幾多郎(1870~1945)は、意志によって絞られた意識の中で、善が実現すると考えたのである。「善とは一言にていへば人格の実現である」という。他の真や美は己れにとっては内向的に働くが、善は外に向かって発せられるものとして一線を画す「公共」の概念と随伴する。

 

感性にもとづく情は「胸にあふれる」西田の思想を総括する言葉が「個人的善に最も必要なる徳は強盛なる意志である」と…