「素養」の美学

Life Heart Message2017.03.20

 

人は生きていくには“衣・食・住・交・楽”が必要であり、その上に「情報」と「知識」と「思想」が必要であろう。人間には知的好奇心があり「知りたい」という気持ちが、人を動かしている。身体が食べることで生きる事ができ、新陳代謝を行うと同じように、脳の中は、知的な食べ物の摂取と不要なものの排出によって常に新しくなっている。

 

「知識」はある程度まで普遍化された情報、しばらくの間は通用する情報であって、普通にものを考えるときにはこれが土台になる。その一方で「知識」もまた変わりゆくことから更新が必要である。

 

「思想」とは、「情報」や「知識」を素材にして構築される大きな方針であり、個人に属するものもあり、多くの人々に共有されるものもある。それ自体が人格を持っていて、成長し、時には統合され、また分裂し、人類全体の運命を導くものである。「哲学」や「宗教」

まで含む大きな器といえる。

 

人は叡智を積み上げていまの世界を築いた。知は継承可能なものだということを近代人は信じてきた。だが、どうやらそれが危ないらしいと言われている。個々の情報についてインターネットのスピードは速く、また入手しやすいという利点はあるけれど、頭の中の世界図を作るためには、インターネットでは一つ一つの記事の「ユニット」が小さ過ぎるので話が散漫になってしまって無理だと思う。ブラウズから本当に値打ちのあるものを選び出す行為は、金属の精錬に似ている。大量の鉱石を処理して、純度の高い、品質のよい宝石や金属などを取り出す作業に似ている。金の場合、原石1 トンにつき0.5 グラムが分岐点だという。

 

日本ではいま、年間8 万冊の本が刊行されている。この膨大な本の海の中から、本当に必要とする本を見いだすか、これも大変だ。昔、寺山修司は「書を捨てよ、町へ出よう」と言った。彼はその時、気付いていなかった。書物がそのまま町であることに。

 

人間が将来に備える唯一の方法は歴史に学ぶことだ。『貞観政要』に唐の太宗、李世民の有名な『三鏡』の言葉に「夫(そ)れ銅を以(も っ)て鏡と為(な)せば、以て衣冠を正す可(べ)し。古を以て鏡と為せば、以て興替(こうたい)を知る可し。人を以て鏡と為せば、以て得失を明かにす可し。朕(ちん)常に此(こ)の三鏡を保ち、以て己(おの)が過(あやまち)を防ぐ」と…

 

ココ・シャネルは言った。「私のような大学も出ていない年をとった無知な女でも、まだ道端に咲いている花の名前を一日に一つぐらいは覚えることができる。一つの名前を知れば、世界の謎が一つ解けたことになる。その分だけ人生と世界は単純になっていく。だからこそ、人生は楽しく、生きることは素晴らしい」彼女はワクワクしながら毎日を彩り豊かに生きていた。

 

「狭く、深い」専門分野を持ったうえでの、「広く、ある程度深い」素養が求められる時代ではないだろうか。