「思索」の美学

Life Heart Message2017.04.17

 

大学生時代、九鬼周造がもっとも影響を受けたのは、西田幾多郎や岩元禎も一年間そのもとで学んだラファエル・フォン・ケーベルだった。哲学について文献の学の豊饒さへの信頼は学生に感銘を与えた。卒業時に学生に贈った言葉のなかで、「諸君がそのすべての力を真と善と美との追究に捧げることと同時に、心肝に銘し置きたきことがある。それは即ち美ということである・・・美なく―学問なるものなく、哲学なるものなく、道徳なるものなく、宗教なるものもないのである。芸術についてはもとより言うをまたない!美は世界原理である」と述べている。

 

九鬼のことばへの感覚や、芸術や日本文化への関心は、ケーベルのもとで学んだこの大学時代に育まれた。1924 年、九鬼はパリに移り以降27 年まで滞在する。ベルグソンと哲学をめぐって対談し、形而上学的直観という「天恵の慈雨」を迎え入れ「・・・哲学することは、直観の努力によって具体的実在の内部に身を置くことにある・・・ベルグソン氏は我々に「絶対を蘇生」させてくれた。」と。

 

またパリにおいて、感覚の上で親しいものを感じたのは、ボードレールであった。哲学は決して「乾燥した抽象の学」ではなく、「生の鼓動を聞き、生の身顫(みぶるい)を感じる」ことにその本領があると述べている。「真の経験主義とは・・・生命へ深く探り入り、一種の精神的聴診によって魂の脈動を感じとろうとするものである。そして、この真の経験主義こそが真の形而上学である」と。

 

ドイツ留学の折、ハイデガーと出会い、九鬼の思索の営みに魅力を感じたハイデガーは、「九鬼伯爵の思い出は、いつまでも私の心に残るものであります」と言われている。また、サルトルをハイデガーに紹介したのも九鬼であった。「生きた哲学は現実を理解し得るもの

でなくてはならぬ」と言った彼の「創造する意志」は、古代ギリシアから現代にいたる膨大な文献を渉猟し、その長い思想の伝統と、その文化の精髄に触れ、思索の基盤となった。

その傍らにはつねに日本文化への思いがあった。

 

九鬼周造は母と岡倉天心との関係に対して複雑な思いを抱いていたが、天心の「日本芸術の歴史はアジアの理想の歴史となっている」説に尊敬の念を懐き、インドの仏教における理想とされる悟りの境地、老子の言う「道」、武士道の根底にある物質的なものへの断念。この日本的性格の自覚を通して「日本国民の世界史的使命」をめざしたのである。

 

「私はただひたすらに真と美の永久の静けさを求めて、少数の読者と共に、哲学と文学との間の小道をさまよいながら、思索し、感覚し、憧憬することを願っている」華やかに燃え、喜び、悲しみ、且つ悩む「情の人」九鬼周造の思索が「美への限りなき憧憬」とともにあった。

 

1941 年5 月、53 歳で急逝、その生涯を閉じた。