「瞽女(ごぜ)」の美学

Life Heart Message2017.05.15

 

明治33 年(1900 年)新潟県(現在の三条市)に4 人兄弟の末っ子で生まれた女児「小林ハル」は生後3 か月の時、白内障を患い両目の視力を失う。ハルの生家は庄屋の格式を有していたが、家族は盲目の子が生まれたことで「近所の手前が悪い」と、屋敷の奥の寝間に置かれ「手洗いが近くなるから」という理由で水分をとることも制限された。

 

占い師にみせたところ「この子は長生きする」と言われ、家族はハルの将来の生計を案じ、瞽女(ごぜ)にしようと母親はハルに礼儀作法や、編み物、縫い物を厳しく教えたため、ハルは実の母親ではないと思うこともあった。

 

5 歳の時、三条を拠点に活動する樋口フジへの弟子入りが決まり、三味線と唄の厳しい修行に一生懸命務め、師匠を「お母さん」と呼んだが師匠のフジの様々な仕打ちに耐えなければならなかった。ハルが上達して祝儀を多く貰うと褒めるどころか「これはどこから盗んできたんだろう」と難癖をつけ、杖で打ち据えた。瞽女の世界の厳しい戒律と上下関係があり、師匠フジにとってハルは「金もうけの道具」に過ぎなかった。

 

13 歳の時、一人前の瞽女と認められたが、師匠の評価は芳しくなく、杖で打ち据えられ骨に無数のヒビが入っていた。ハルの将来を案じた姉弟子らの計らいで師弟関係を解消し、ハツジサワの弟子となる。

 

18 歳の時、評判の悪い晴眼の瞽女との巡業の折、乱暴をふるわれ、人生を左右する怪我を負わされるが事の真相を誰にも話さなかった。

 

大正10 年(1921 年)高齢の師匠ハツジサワが病死したため、坂井ツルの弟子となり、ハルが巡業を率いるようになる。その後独立して弟子を救うため、過酷な条件を引換えに按摩師の男に7 年間搾取される事になる。「目のみえないものは、人の世話にならないと生きていけない」という母の教えと運命を甘受する態度が、これでもかと苦難を強いられる。

 

盲目の女芸人瞽女小林ハルは、3、4 人が連なって、少し目の見える手引きの女性の肩に手をかけ旅をした。温泉旅館で民族学者に唄を披露した事がきっかけで世間の注目を集めるようになる。三味線を手に「葛の葉子別れ」などを語り出すと、まわりの障子がふるえるようで、決して感情を入れているわけでもないのに人々は涙した。その頃は録音などという便利なものはなく口伝えである。親方の語るのを聞いて憶える。その記憶力のなみなみならぬ事で、当時演目は300 近くあった。

 

小林ハルは、どんな境遇にあっても姿勢を正して生きる事を教え、「瞽女唄」保持者として人間国宝にまでになった。彼女の言葉に、「いい人と歩けば祭り、悪い人と歩けば修業」人生には辛い事も嬉しい事もある。それを自分で乗りこえるための応援歌・・・

 

103 歳まで生きた「鋼の女」うたれればうたれるほど輝きを増す鋼のような女(ひと)の美があった。