「継承」の美学

Life Heart Message2017.06.12

 

家系は安土桃山時代から始まった刀鍛冶。昭和20 年の終戦によって、武器製造禁止令のため軍刀を作っていたため生活の糧を失い、赤貧洗うがごとしの中、父親は持ち堪えていた自宅を売り転居。そのような家庭環境の中、2 年間浪人生活をしていた息子を関西大学法学部に入学させた。彼は、友人に勧められて一冊の本に出合う。

 

宮入昭平著の『刀匠一代』この本の最後の一文に「私は愛刀家や研究家が出ることは、結構と思っています。が、せめて一人でもよい。将来を託せるような刀鍛冶が生まれてくれないかと、そればっかり、切に願ってやみません。」これを読んだ河内國平は「ようし、俺がやろう」と言い聞かせた。

 

刀が引っ張ったのか、14 代続いた家系の血がそうさせたのか、本を読み終えたその日から宮入昭平を人生の親方と決める。彼の決意を聞いた父は、「もう、刀の時代は来ない」と言っていたにもかかわらず、やはり喜んで賛成してくれたが、母親は「やめなさい」と強く反対した。

 

大学の恩師末永雅雄先生は「宮入氏は男だ、あれは本物だ、いい職人だ」「宮入につけば大丈夫だ」と激励され、大学を卒業と同時に正式に弟子入りする。職人の世界では、左利きを忌み嫌い、左利きの彼は、つい左手を使うと、親方に「験(げ ん)が悪い」と怒られ、仕事ができず悔しくて悔しくて、何度も涙を流した。時間があったら絶えず右手で鑓を振る練習を重ねた。

 

狂言師の野村万蔵氏は「河内君ねえ、仕事は下手がいいや」との言葉に救われた。不器用な下手な子、刀以外のことを考えず、下手だから工夫する、道一筋になる。失敗は必ず自分で覚えているから、いい経験になる。肝に銘じるし、経験が積み重なって、そして熟練してくると応用ができる。「命賭けて」真剣にやっていて、真剣に叱りつけられる。「できの悪い弟子ほどかわいい」と、親方も必死であった。

 

人間国宝であった親方宮入昭平氏は全く威張ることなく刀を打つこと以外、一切ほかのことはされず、刀だけ、芸術だけの人であった。人生の師は平櫛田中(ひらぐしでんちゅう)氏であった。師の言葉を書いた額が仕上げ場にかけてあった。「今やらねばいつできる。わしがやらねば誰がやる」親方は本当にこの言葉通り、一直線に行動する人であった。紫綬褒章、紺綬褒章など多くの賞状も頓着がなかった。唯一、人間国宝の指定書だけは大切にされたのは、その用紙が正倉院の復元紙であったので「この紙はいい紙なんだ」と大事にされた。

 

宮入親方が亡くなった後、河内國平氏は、備前伝の人間国宝、隅谷正峯氏に弟子入りする「相州伝を習った人間が他流派の備前を正式に習いに行ったのは刀の歴史上初めて」であった。

 

「出来る。出来る。出来る。出来る。出来る。出来る。出来る。出来る。出来る。必ず出来る。」「國平」の署名と落款がある扁額に師から継承された信念の美学がある。