「境地」の美学

Life Heart Message2017.07.10

 

人間は真実であることや、善良であること、また美しくきれいであることを好むものである。そして、尊敬し、愛するものではないだろうか。その真実について学ぶのが、哲学・論理学であり、善良であることについて学ぶのが倫理学であり、美しいことは何であるか、芸術とは何であるか、を考えたずねていくことが“美学”なのである。

 

第一に自然の美しさとは何であろう。空、海、山河、あの大自然の美しさ、鳥や花、あるいは人の体の美しさもやはり自然の美しさなのである。なぜ、美しいのであろう。例えば、手があるとか、足があるとか、体の内部で刻々と血がめぐり、生命を維持している。

 

まさに一つの大自然であり、山あり、川あり、無限のよろこびと悲しみをもっている大きな天地ではないだろうか。実に体自身が考えようもない複雑な、緻密な、微妙で精巧をきわめた秩序の結集体であり、宇宙に比べるべき容易ならざる大切なものが、自分自身の中にもある。

 

ドイツの詩人シルレルは「人間が自然の中に、自分の自由なこころもちを感じる時、それを美というのである」と言った。シルレルはこの自由なこころを「美しい魂」と名づけ、彼の作品中の、人間の不正に正しく憤ったウイリアム・テルのもつ魂もこの「美しい魂」の1 つであり、強い魂でもある。自然に触れることで、自分の本当のあるべき、守るべき姿に気づき、本当の自由な自分、いとおしむべき、健康な、大切にすべき自分を発見することでもある。

 

芭蕉は「しづかに観ずれば、物皆自得す」と言った。人間が創った道具、建築、着物、持ち物、電車、自動車、飛行機、あるいはスポーツなども、人間の技術がつくりあげたものである。例えば、水泳の時、水と人間が、生でぶつかって、微妙な法則、一つのフォームを探りあてたとき、その法則のもつ構成のすばらしさ、その調和、ハーモニーの響き合いを、肉体全体で感じる時、クロールまでが、美学にも関係をもってくるのである。

 

人間がこの宇宙の中に、自然と適応しながら、自分で創造し、それを固め、そしてさらに発展させていく法則が「技術」である。そして、人間は、美しさそのもののみを求めて新しい秩序を創造してみたいと考えはじめた時、ここに芸術の世界が創られて来るのである。

 

鍛錬に鍛錬をつみ重ねて探し得た時の「ああ、これだ」といえる充ち足りたこころ、本当の自分にめぐり逢ったという自由への闘い、この境地を、芸術の美しさを求める苦しみがある。人々は、その芸を見、聞いて、その芸術家を打ったものが人に伝わり、また、芸に打たれるのである。

 

美は、いろいろな世界で、本当の自分、あるべき自分、深い深い世界にかくれている本源にめぐり逢うのである。この神秘なるものを引き出す手引きが、芸術であろう。美はその神秘なつものの象徴である。シンボルである。