「審美眼」の美学

Life Heart Message 2017.07.17

 

明治34 年に東京に生まれた青山二郎は、中学生の頃から骨董に興味を持ち、当時の一流の見巧者が、「天才的な審美眼」の持主と折紙をつけていた。中でも不弧斎は彼が18歳の頃、店へ来て、いきなり宋鈞(そうきんよう)窯の盃(はい)を買ったので、びっくりしたという。その頃は極ぐ限られた数寄者しか知らなかった名品を青二才が買ったのだから、専門家が驚いたのは当然であろう。

 

陶器の真髄は、いわば形の中にある魂といったものを求めたことである。それは一旦排斥した日本古来の茶道に還ることを意味した。外国の文化に触発されて鍛えられた精神が、再び日本の伝統に回帰するのと同じように、まったく新しい眼で古いものを見直すことができる。見直すというより、創造することでもあった。

 

真に美しいものをその奥に見出すことはむつかしい。本物の中の本物を発掘するのが青山二郎が志したことである。「創造」とは、一旦悟得すれば万事に通ずる眼を持つことであったから、命を賭けることも辞さなかった。茶道のことなど何一つ知らなかったが、ひたすら陶器に集中することによって、お茶の宗匠の及びもつかね茶道の奥義を極めた。

 

古陶磁の展覧会に美術学校の校長の正木直彦氏が、青山二郎を推薦したのも、学歴や年齢とは無関係に、「無名の専門家」として彼の「眼」を信頼していた。骨董気違いと言われ、「物を買った時の喜びとそれを売払って飲んだ時のそれと、何処がどう違ふのか、今だにはっきりしません。美を手に入れた喜びの方が、果して酒の味を知った悪習より高級でありませうか。私は極めて自然に、一個の茶碗と一夏のヨット生活を交換しました。」

 

お金を使いすぎて、骨董品を売ったり、証文を書き替えたり、四苦八苦したが、その日その日が真剣勝負であった。

 

借金を質に入れても借金を買うこと、青山二郎の「生活」とは、時間と鑑識眼と抜群の趣味によって創造された一つの境地であった。「俺は日本の文化を生きているのだ」「ぜいたくな心を清算する(はぶく)要はない。ぜいたくに磨きを掛けなければいけないのだ。」「要求は無法、愛情は無償」装幀した本は約2 千冊。発表した数多くの美術評論や随筆を残し、中にひとつの美しい装幀本に借金した相手の名前と金額が円のまわりに克明に記していた。

 

彼は言った。「昔の人間が感じた感じ方で、ものを感じなければならぬ流儀が人を泳がせる。言葉が人を恋愛させる。骨董が人に美を教へる。便利が人を利口にする。この流れにさを差さねば滝壺に落される。昔の人のやうに自分のタコでものを感じ取らねばならぬ。

 

「頭が悪い」宜しい。とんびのように僕は飛ぶだけだ。」「美とは、それを観た者の発見である。創作である。」「美とは魂の純度の探求である。他の一切のものはこれに反する。」

 

ニーチェは言う。「美だけが悔悛をうながす力をもっている」と………