「見立て」の美学

Life Heart Message2017.07.24

 

日本人の重要な伝統的文化観に「見立て」がある。この見立てという比喩的な文人好みの美意識を研究者は、日本文化を「見立ての文化」と評した。この「見立て」とは、あるものを別のものになぞえることであり、ある状況をそれとは別の状況やもの事の様子から見て取ることである。日本文化には、この見立ての表現が絵画表現や、歌舞伎や演劇などの芸能、俳諧や茶道などの文芸、また華道や造園、盆栽など多岐にわたって存在している。

 

例えば、日本独自の造園に枯山水がある。植物や水を一切用いず、石や砂だけで自然を表現する。石は伝説の山「須弥山(しゅみせん)」を表し、砂や小石は大海原を表現する。また、落語では噺家が手ぬぐい一本を用いてさまざまな情景を表現し、客もこれを想像しながら見立てを楽しむ。

 

私たちの祖先は七世紀大陸文化を移入して以来、徐々に独自の美意識に目覚めて日本文化をつくりあげてきた。その「独自」の中でもっとも大きかったのが「見立て」のかたちに託した美学が多く息づいている。古くから日本人の日常生活をみても、縁起担ぎや祈願を込めたさまざまな見立てのかたちが採り入れられている。正月のおせち料理は見立てのオンパレードである。昆布は文物の巻き物という意味から、文化・教養を表し、きんとん・・・・は金色で財の見立てである。黒豆はまめまめしく働く勤労を、数の子は子宝を、鯛は「めでたい」と、見立て尽くしである。

 

茶の湯の茶室は、千利久が草庵とよんだように、侘び好みの造りであった。利久はできる限り野趣に富んだ演出を心がけ、壁はわらがむきだしの荒壁、天井は燻した煤竹、床柱はゆがんだ自然のまま用いた風情の空間に大自然の姿として小宇宙を再現していた。茶の湯は、こうした日本人の自然観と美意識を凝縮した精神の芸術であった。

 

単に喫茶という茶を飲むセレモニーにとどまらず、茶器・茶道具・炭作法・掛け軸・書・生け花・花入れ・料理・露地(坪庭)・工芸品など美の様式が集大成された一大総合芸術である。その露地は自然の姿・生け花は野に咲く花、茶碗のひび割れや釉薬(うわぐすり)の流れなど自然現象の見立てとなっている。つまり、茶道とは、見立ての総合芸術といえるだろう。

 

能舞台の背景に松の老樹が描かれている事について折口信夫によると神の依代(よりしろ)、神様が乘り移ったという意味であり、つまり心霊の見立てなのである。しめ縄は禊(みそぎ)の印であり、敷居や暖簾(のれん)は結界という境目であるという見立ての精神的けじめではないだろうか。

 

日本人は、古くからこうした生活の身辺から神仏の儀礼に至るまで見立てに囲まれている。日本の駅弁やコンビニの弁当にまで、日本人の見立ての粋の心が寄与している事に今世界やら注目を浴びている。………