「断章」の美学

Life Heart Message2017.08.07

 

昭和20 年の夏、敗戦を予測しつつ、負けていく日本に殉じようとした若者がいた。京都帝国大学から学徒出陣して海軍飛行予備学生となった林尹夫(ただお)である。彼は文学部で西洋史を専攻、厳しい訓練の中でも学問への情熱を失うことなく、独、仏、ラテン語の辞書を引きながら原書を読んでいた。7 月28 日、夜間索敵哨戒飛行中に敵の夜間戦闘機の迎撃を受け死亡。その直前に書かれた断章がある。

 

南九州の制空権/すでに敵の手中にあり/我らが祖国/まさに崩壊せんとす生をこの国に享けしもの/なんぞ生命を惜しまん/愚劣なりし日本よ優柔不断なる日本よ/汝 いかにも愚なりとも/我ら この国の人たる以上/その防衛に奮起せざるをえずオプティミズムをやめよ/眼をひらけ/日本の人々よ/日本は必ず負ける/そして我ら日本人は/なんとしても この国に/新たなる再建の道を/切りひらかなければならぬ

 

若きジェネレーション/君たちは/あまりにも苦しい運命と/闘わねばならない/だが 頑張ってくれ/盲目になって 生きること/それほど正しいモラルはない/死ではない/生なのだ/モラルのめざすものは/そして我らのごとく死を求むる者を/インモラリストと人は言わん

 

—―林尹夫は生きることこそがモラルにかなうことだと確信しながら、彼は死んでいったのである。自分たちが死に、戦争に負けた後の日本を思いながら、戦争の時代を生きた若者から「戦後」の鮮烈なメッセージである。

 

もうひとりの23 歳で戦死した詩人竹内浩三は、出征するとき、子供のように大きな声で「おれ往きたくないよう」と泣いたという。検閲の目をのがれて友人に書き送った詩がある。

 

戦死やあわれ/兵隊の死ぬるやあわれ/とおい他国でひょんと死ぬるや/だまってだれもいないところで/ひょんと死ぬるや/ふるさとの風や/こいびとの眼や/ひょんと消ゆるや/国のため/大君のため/死んでしまうや/その心や/苔いぢらしや あわれや 兵隊の死ぬるや/こらえきれないさびしさや/なかず 咆えず ひたすら銃を持つ/白い箱にて 故国をながめる/音もなく なにもない 骨/帰ってはきましたけれど/故国の人のよそよそしさや/自分の事務や女のみだしなみが大切で/骨を愛する人もなし/骨は骨として勲章をもらい/高く崇められほまれは高し/なれど骨は骨 骨は聞きたかった/絶大な愛情のひびきをききたかった/それはな

かった/………ああ戦死やあわれ/故国の風は骨を吹きとばした/故国は発展にいそがしかった/女は化粧にいそがしかった/なんにもないところで/骨はなんにもなしになった

 

竹内は、戦後の日本を予言し、批判し、悲しみつつ、一兵卒として死んでいった。彼の姉は竹内がかぶっていた学帽を墓に埋めて詠んだ歌に、「一片の骨さへ無ければおくつきに手ずれし学帽ふかく埋めぬ」……

 

二度と戦争なき世界を願い、戦没者のご冥福を祈りたい。