「労働」の美学

Life Heart Message 2017.08.14

 

1883 年8 月19 日に、フランス中西部・オーベルニュ地方で誕生した少女は、姉と妹の他に弟がいた。母親は、放蕩の夫に苦労させられ、若くして亡くなる。大好きだった父親はアメリカで成功して娘たちを裕福にしてみせると言い、少女を修道院に預け家を出て行った。この父親が彼女を呼ぶとき「ココ」と呼び、「うちは安物を買えるほど金持ちではないんだ」と言い、本物を長く使うことが美徳であることを叩きこまれた。まじめで賢い少女は父親の言うことを生涯大切に心に刻んだ。そして母親から忍耐と無償の愛を理念とした。

 

貧しかった農民の血を引く行商人の娘が、富裕階級に乗り込んでいき、大ナタを振るい「復讐の女神」といわれたこの人こそ“ココ・シャネル”であった。「自分の生まれ育ちは幸いなことだった」めげない、羨(うらや)まない、恨まないという、単に強さだけではない真のプライドと、秀れた才能は花開いていった。スピード、度胸、センスと三拍子揃った力を駆使して追随を許すことがなかった。自分の五感を研ぎ澄まして、感じ取る力は、戦国時代の武将の如く、次なる作戦、次なるアイデアを空気を読んでとり入れる嗅覚を持っていた。物事を俯瞰し、客観的にとらえることのできる女性としては稀な感性が磨き抜かれていた。

 

シャネルは言った。「クチュリエの天才はどこにいるのだろう。天才とは予見する人である。政治家以上に、偉大なクチュリエは、精神の中に未来を見出し、未来を手にする。

 

この未来を見る目がなくて、どうして、冬に夏の服を、夏に冬の服を作ることができよう」と。名だたる爵位のある貴族との交流、多くの恋人の中でも、働いて名を成し、実業家として成功したアーサー・カペルの出資で、シャネル・モードをオープンし、彼女の事業は発展するが、運命は残酷で、カペルの自動車事故によって最愛の人との別れとなる。

 

悲しみに沈んでいた時、社交界の女王として、多くの人望を得ていたミシア・セール夫妻にイタリア旅行に誘われ立ち直る。ミシアは芸術面で才能ある人材を支援していた事から、モード界で力をつけたシャネルは、ミシアにならって、多くの逸材を支援する。そして彼らの芸術活動に匿名で出資したのであった。「天分は持って生まれたもの。才能は引き出すものよ」と支援した。

 

第二次世界大戦勃発とともに、香水とアクセサリー部門を残し、店を閉めたが、15 年後店を再開。解雇した従業員を呼び戻し、第一回コレクションを発表。71 歳のカムバックはフランスでは酷評されたが、アメリカのニューヨーカー誌は、「20 歳レベルの汲めども尽きぬ生命力を持った恐るべき魔術師」と評した。“世のため人のため”「何んであれ、中途半端で終らせたことなどない」と、「わたしは絶対に嘘をつかない。曖昧な生き方はしたくないから」と。仕事がいつも面白く、休みなく働いた。休日が大嫌いだというシャネルは、87 歳の時、香水「シャネルNO.19」を発表する。

 

1971 年、亡くなる前日まで発表のために準備をしていたコレクションは、予定どおり1 月26 日に行われ、追悼コレクションは大成功する。彼女の魂は今も働き続け、会社も時代を超えて繁栄し、永遠不滅の存在となっている。

 

ヴィクトル・ユゴーは言った。「労働は生命なり、思想なり、光明なり」

 

――慧光照無量