「百思千慮」の美学

Life Heart Message 2017.09.04

 

教師として6 年間在籍した小諸義塾を退職し、未完の『破戒』の原稿をひっさげ、妻と3人の幼な児を伴って、上京した島崎藤村。小説脱稿までの生活費と自費出版の費用は、小諸の神津牧場主と函館の妻の実家から借り、東京郊外大久保の安普請の借家で極端に切りつめた生活をしながら、孜々(しし)として小説の稿を継いだ。およそ、1 年後に『破戒』は脱稿、出版された。

 

この最初の長篇小説は、被差別部落出身の主人公を設した社会小説の体裁を帯びながら、「吾胸の底のここには言ひがたき秘密

(ひめごと)住めり」といふ『落梅集』の抒情詩にうたはれた、「隠せ」といふ自己保存の本能と世間によって抑圧された心情の自己告白の衝動と葛藤の小説であった。 人生は戦場である。文士は人生の従軍記者である。この覚悟と決意による背水の陣の耐乏生活で、妻は夜盲症を病み、三人の幼な児はつぎつぎと病死した。

 

『破戒』は、仮に偉作だとしても、三人の幼い生命を犠牲にした事は悲劇だ。国運を賭けた日露戦争を背景に一介の文士が文学の事業のために人生を賭けて奮闘する姿には後世を感動させるものがある。

 

藤村は、第二の長篇『春』も自費出版した。この長篇は、日清戦争を背景に、作者の青春時代に影響を受けた明治新文芸の悲劇的先駆者北村透谷の狂死への回想と重ね合はせて描いた。

 

そして第三の長篇『家』はこれも自伝的小説ながら、家の内側を凝視する執拗な眼を持続して、そこにうごめく人間の生きんとする意志と本能を描いた。

 

明治の新時代に没落した旧家の一族が、事業に失敗し、筆一本で生計を立てる主人公に、その重い負担にあえぎつつ、結婚生活の幻滅に苦しむのである。そして『家』を書きあげたとき、日本自然主義の小説体系を独力で樹立した。それは夏目漱石が『心』で暗示的に描いた「明治の精神」を、逆道から暗鬱に照らしたのである。

 

しかし、大正に元号が改まった時代に、藤村は生きる術を失っていた。姪との密通による愛慾地獄から再生をねがって、子を捨て、家を捨て、日本を捨てて、フランスへ自己流謫する異常な行為も、日露戦争後の“勝利の悲哀”の延長線の上にあった。

 

19 世紀西欧の没落をもたらした第一次大戦のさなかに、戦禍を避けて藤村は帰国する。彼の『夜明け前』が完結したのは、昭和10 年、64 歳の時であった。「国ヲ思ヒ、君ヲ思ヒ、家ヲ思ヒ、郷(さと)ヲ思ヒ、親ヲ思ヒ、朋友妻子親族ヲ思フ。百思千慮、胸中ニ鬱結シ、憂嘆ニ勝(た)ヘズ。起チテ西南諸峯ヲ望ム。山蒼々タリ。壑(たに)悠々タリ。皆各(おのおの)自得之趣有リ。斯ク観ジテ賴ミテ以テ慰ヲ得タリ。カノ百憂ナル者、真ニ天公ノ錫ナルカナ。」「思ひ草しげき夏に置く露の千々にこゝろくだくころかな」藤村は青山半蔵の生涯と明治維新を書き続けた。その鬱勃とした精神による『夜明け前』が、昭和初頭の日本文学をこの一作をもって支えていた。

 

彼は言った。「思想から作品が生まれるのではなく、作品から思想が生まれるということがあるのでは」それは日本の歴史の精神である。