「道程」の美学Ⅱ

Life Heart Message 2017.09.18

 

「侘の一字は、茶道において重じ用ひて、持戒とせり」といわれている。「わび」は利久によって茶道の根本精神とせられ、芭蕉によって文字としての俳諧の基本原理とせられ、さらに「わび」から転化した「さび」の概念が、蕉風俳諧一般の美的理念にまで発展していく実践形態は、芭蕉の旅であった。しかも芭蕉においては、旅はかれの生そのものであった。

 

わが国の文学においては、旅は極めて重要な意義をもっていた。それは旅は「自然への帰入」を意味し、文学の重要な源泉となったからである。旅の三大詩人と称せられる西行・宗祇・芭蕉の文学において顕著に示されている。西行・宗祇の二人にとっては、旅は詩嚢を肥やすためという客観的な目的があったが、芭蕉は「旅を道とした」旅であった。

 

西行・宗祇の先輩の影響もあったが、「旅人とわが名よばれん初しぐれ」という句が端的に示すが如く、芭蕉の句は「限界状況」との出会いにおいて生まれた。「この道や行く人なしに秋の暮」とうたい「野ざらし紀行」の冒頭で「野ざらしを心に風のしむ身かな」と吟じたとき、芭蕉にとっては、旅は死を先取りした生であり、生のうちに死をみることであった。その旅の途中大垣の宿での句に「死にもせぬ旅寝のはてよ秋のくれ」。また、心に隠樓を期して入った幻住庵においても、つぎの句を残していた。「先づたのむ椎の木もあり夏木立」「やがて死ぬけしきは見えず蝉の声」。徹底的な「わび」の実践を通して、自分を「侘びつくしたるわび人」と呼んだ。

 

「月をわび、身をわび、拙きをわびて、わぶと答へむとすれど、問ふ人もなし、なほわびわびて、侘てすめ月侘斎がなら茶歌」と、句にうたう「笈の小文」には「……しばらく学で愚をさとらん事を思へども……終に無能無芸にして只此一筋につながる。西行の和歌における、宗祇の連歌における、雪舟の絵における、利久の茶における、其貫通するものは一なり。しかも風雅における、造化にしたがひて、四時を友とする。」芭蕉の旅は「をのれが心を責める」旅であった。

 

「古より風雅に情(こころ)ある人々は、後に笈をかけ、足を痛め、破笠に露霜をいとふてをのれが心をせめて、物の実(まこと)をしる事をよろこべり」「己の心を責める」ことが「物のまこと」を知る条件であった。

 

芭蕉の有名な「高く心をさとりて俗に帰るべし」と、「実(まこと)の人間存在」の在り方を追求していた。「俳諧の益は俗語を正す也。つねに物をおろそかにすべからず。此事は人の知らぬ所也。大切の所也」と語っている。

 

芭蕉は「松の事は松に習へ。竹の事は竹に習へ」という。この「授けられる」ことにおいて、物と心が一つになる。それは「する」句でではなくして「なる」句であり、「授けられた」文学であった。芭蕉は一切を放下し尽した深さの美、きびしさの美としての「さび色」であった。

 

「名人は危き所に遊ぶ。俳諧かくの如し」と語り、「名人の師の上にも仕損じありや」との許六の問に「毎句あり」と答え、「危さ」を自覚されていた。