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「パレアナ」の美学

Life Heart Message 2017.11.27

 

アメリカの女性作家エレナ・ポーター(1863-1920)の小説「少女パレアナ」は、アメリカでは知らない人はいないという名作である。この物語は―――幼くして両親を亡くした少女パレアナは、母の妹である叔母のもとに引き取られる。この叔母は裕福であったが、「心の乾いた女性」であった。パレアナを引き取ったのも、決して「愛情」からではなく「義務」からであった。夢や、みずみずしい愛情や感動を失い、「仕方がないから」と人生を「義務感」によって生きている人は現代においても少なくない。

 

ところが、パレアナには、亡き父親と約束したある「ゲーム」があった。それは、「何にでも“喜び”を見つける遊び」であった。例えば、パレアナが駅に到着した時、叔母は迎えにもこなかった。不安、悲しみ、恨むところがパレアナは、代わりに来たメードのナンシーに言った。「叔母さんが迎えにきてくださらなかったがうれしいの。だって、まだこのあと叔母さんに会う楽しみがあって」と。

 

冷たく迎えられたパレアナは、立派な部屋が他に多くあるにもかかわらず、屋根裏部屋をあてがわれたが、「かえって片づけが早くすむからいいわ」絵もない部屋―――しかし屋根裏から見える風景に「あんないい景色があったら、絵なんか見えないでいいわ」彼女は一事が万事、つらい境遇の中にあって一生懸命、「喜び」を見つけようと努力する。

 

このパレアナ遊びは、「喜び」を探し出すのがむずかしければ、むずかしいほどおもしろい」と彼女は言う。この遊びが次第に広まっていった。叔母さんの冷たい心も、パレアナの「喜びの光」に温められ、心をとかされていく。やがて町中がパレアナという一人の少女の力で、生まれ変わっていくエピソードは数多くある。どんな人に会っても、何から「うれしいこと」「喜べること」を見つけていった。

いつしか人びとは、パレアナの味方になった。心は不思議である。心は微妙である。こちらが悪い感情を抱いていると、たいていは相手にもそれが伝わっている。こちらが笑顔の思いで接すれば、相手にも微笑の心が宿る。-―相手は自分にとって「鏡」のような存在である。

 

パレアナは、自分がまず心から「喜ぶ」ことで「鏡」である相手から、少しづつ「喜び」を引き出していった。“信頼”を率直に表現した。だから多くの人が、何とかその信頼に応えようと動いた。“あの少女のようになりたい”—--見えない「心の力用」が人々の心を揺さぶり、大きく開花させていった。

 

パレアナの物語は、アメリカ中に広まり、そしてある辞書では「パレアナ」の名が「喜び」を意味する言葉(普通名詞)として載せられている。同じ一生であるならば、喜んで生きる一心の妙用の行動を創造して、「一念随喜」生き生きと生きたいものである。厳しい現実の社会にあっても「何にでも喜びを見いだす」心の境涯を高め、悩みをも希望に変え、価値を創造していくためには、創造的な「強さ」が要求される。

 

ヴィクトル・ユゴーは言った「喜びとは、苦悩の大木に実る果実である」と…‥