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「変革」の美学

Life Heart Message 2018.6.4

 

18 歳で女優デビュー、ほぼ同時に音楽家ジョン・バリーと結婚、翌年長女を出産するが、子どもを産んだことでジェーン・バーキンは安心していたが、夫のバリーは、ハリウッドで新しい恋人をつくったために彼女は娘を抱いて泣きながら、イギリスの実家へ戻る。翌年フランス映画大賞を受賞する『スローガン』に出演する。離婚し、傷心のままこの映画の共演者セルジュ・ゲンスブールと出逢い、彼のミューズとして、圧倒的なファッション・アイコンとしてブレイクする。

 

24 歳のとき、次女シャルロット・ゲンズブールが生まれ、現在フランスを代表する女優となっている。ゲンスブールとジェーンのベストカップルは一世を風靡し、いまでも伝説となっている。37 歳のとき、ロンドン行きの飛行機でたまたまエルメスの社長の隣に座ったとき、バックの手帖が見つからず、もっと便利でシックなのが欲しいわ、と言いながらごそごそ探していた様子に、社長が「あなたが欲しいバッグをデザインしてみませんか?」と声をかけられ誕生したのが、エルメス社の神話的なバッグとなる彼女の名を冠した「バーキン」として誕生する。

 

現在でもウェイティング・リストに2 年待ちという大人気のバッグである。

 

30 代後半にゲンスブールと別れ、映画監督のジャック・ドワイヨンと結婚。彼との間に娘三女ル・ドワイヨンを出産。ルーは女優・歌手として活躍、子ども2 人、長女ケイトは一人、次女は3 人の子どもに恵まれ、ジェーンには6 人の孫がいて、子どもと過ごす時間が大好きであった。彼女は40 代半ばで離婚、その後作家のオリビエ・ロランと出逢い5 年間交際するが別れる。

 

ジェーンは離婚も有益な経験だったと、他者とのかかわり、生じる摩擦によって変容して自身の内面の変革を促した。彼女はフレンチ・シックという言葉がぴったりの、世界中の女性たちの憧れである女優であり歌手だけではなかった。アウン・サン・スー・チーへの支援の作詞を手がけ歌った。フランスの石油会社TOTAL が、軍事政権に資本投下の事実に、サルコジ大統領に抗議の手紙を書き「ルモンド」紙に公開する。

 

またジェーンが東日本大震災のニュースを知ったのは病院のベッドであった。重い病気で週3 回の点滴が必要だったが、2011 年4 月6 日、マネージャーもバンドメンバーもいない状態で単身来日する。目的は復興支援コンサート。ジェーン64 歳。原発事故による放射能汚染で、外国人が急遽日本を離れるなか、たったひとりで、空っぽの飛行機に乗ってきたのである。「日本のみなさんのことが心配で、直接愛していると伝えたくて」彼女は周囲の反対を押し切って、ドクターストップの病身で復興支援コンサートのワールドツアーを敢行する。セルジュ・ゲンスブールの曲で構成し、世界27 か国74 都市をめぐり、最後は2013 年3 月28 日東京公演であった。

 

記者会見で被災地の人たちに「みなさんが隣人と助け合っている姿、その勇気、温かい心は、今の先進国では失われたものだと思います。世界中の人が感動しています」。そして、「Keep yourself safe」と、……彼女の生命の「慈愛」は、人間のなかにある善意を信じる美しい光があった。