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「言葉」の美学

Life Heart Message 2018.10. 22

 

かのヒトラーは陶酔的な演説をもって、聴く大衆を酔わせ、宣伝省が新聞やラジオ、テレビ、映画など様々なメディアを通じて流したプロパガンダは、その高揚を戦争や殺戮へと誘導していった。繰り返し流れてくる常套句……言葉は、陶酔によってではなく、この上なく明澄な意識によって存在へと汲み上げられるものであり、醒めていなければならない。そして、しっくりくる言葉を体験するとき、言葉が胸を打ち、かたちを成すとき、人はこの上なく覚醒している。どこまでも自分を欺くことなく妥協しないよう努める責任がある。世間におびただしく流通し、日常で人々がためらうことなく用いているステレオタイプな物言いや、マス・メディアの著名人の流暢に繰り出す紋切り型のコメントが、しっくりこないという感覚が湧いてくるのは、「迷い」という道徳的な贈り物である。迷うためには、醒めていなければならない。

 

いまや、インターネット技術を背景にしたソーシャル・メディアが発達し、個々人が世界中の不特定多数の人々に向けて自分の主張を発信することができるようになったが、いま急速に拡大しているのは、他者の言葉に対する何の留保もない相乗りと反復に過ぎない言葉が、秒単位のタイムスタンプが押された言説が、リアルタイムで無数に流れる状態にあっては、言葉を発する方も受ける方も、自他の言葉に耳を澄ますどころか、時間に追い立てられ、タイミングよく言葉を流す即応性に支配されているのではなかろうか。

 

「リツイート」や「シェア」等の反射的な引用・拡散や「いいね」等の間髪入れない肯定的反応の累積がもたらすのは、それによって単に重量を増した言葉が他の言葉を押しのけるという力学であり、かつてない速度と規模をもつデマや煽動の生産システム。絶え間ない常套句の生産システム、称賛も非難も、議論や煽り合いも、結局のところ常套句の使用への硬直化、その反復や応酬の勢いと熱量が、物事の真偽や価値の代用品となってしまっているのではないだろうか。

 

誰しも自分の話す言葉に耳を傾け、自分の言葉について思いを凝らし、生ける最大の文化遺産としての言葉を継承し、複雑に絡み合う語彙に馴染み、自分のものにすることや、個々の言葉の表情や響きの違いをあらためて吟味し、様々な連想を喚起する力のある言葉をたぐり寄せる必要が、他のどの時代よりも、まさにいま現在の我々に突きつけられていると言える。

 

本来多義的であるはずの言葉……たとえば「意味」や「心」など、自己の生活や他人の生活について本当に誠実に考え、努力することを怠っていないだろうか……人種、民族、性別、政治信条等に関して、紋切り型の言葉で敵意や差別意識を拡大させる流れを黙認したり、飲み込まれないためにも、言葉を選び取る責任を自覚し、これを果たすことが必要である。自分や他人を煙に巻いてはならない。出来合いの言葉、中身のない常套句で、注意を払うことなく、思

考を停止してはならない。健全な批判精神を失うことなく、集団の良心の復活を助ける人であることを……