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「面影」の美学

Life Heart Message 2018.01.15

 

かつて日本的な場で発揮されたものを和魂漢才と言った。和が「魂」に、漢が「才」に当てられた。ここに私たちが忘れてしまった考え方が見えてくる。漢字文化圏においては、「魂」とは魂魄の片割れのひとつで、私たちに宿っているもので、何かの極限に到らなければ、それは魂や魄となって出てこないという。

 

たとえば死というまさしく生命の極限にあった時、魂と魄とは飛び立っていく。古代人はそう理解した。このことから日本では、早々に魂をつかうためにタマフリ(魂振り)やタマシズメ(魂鎮め)などをした。一方の「才」のほうは人に宿っているものではなく、才はもともとは木や石や草に宿っているものをいう。かつてサエとかザエといった。その才を引き出すことが「能」である。芭蕉が「松のことは松に習え」と言ったのはそのことであった。

 

ゆえに漢才というばあいは、ほんとうは中国の衣服や瓦から何かを引き出すことをいう。近代になって流行した和魂洋才は欧米の素材から引き出すことをいう。絵の具やカメラから何かを引き出せば洋才である。

 

王朝期、「人に宿る魂」と「物に宿る才」とを一緒くたに語ったり描くようになった。そのため、たとえば藤原隆信の『源頼朝像』や『平重盛像』で似絵(にせえ)の名手が何を描いたかというと、「魂」を描いたというふうに言われる。かつてアンドレ・マルローが絶賛したことだが、これはまちがっている。日本の画人たちは魂をむきだしに描きたいわけではなかった。魂の代りの何かを描いたのである。肖像は「魂」ではなくて「影」だった。何かとは影だったのである。

 

いまでも撮影・影響・御影などという言葉があるように、すぐれた画人は「影」を映し出し、写し出そうとしたのである。この映し出してきたものを「面影」とも「影向(ようごう」ともいって、そこに気韻が生動すると見た。

 

この手法こそが和魂漢才のルーツのひとつではなかろうか。このことがわからないと、日本の絵画に長らく陰影がなかった理由がわからない。そもそも「影」の起源は「たましい」の動向にあるのだから、陰影の描写など必要がなかった。だからその「かげ」から、たとえば「かがよひ」「かげろふ」「かがみ」などが出てきた。『かぐやひめ』といえば、そういう面影の影向をおこした姫のかがやくばかりの象徴なのである。

 

日本で最初に「やまとだましひ」をいったのは、哲学者や愛国思想家ではなかった。女性の赤染衛門である。夫の大江匡衡(まさひら)

が「はかなくも 思ひけるかな ちもなくて 博士の家の乳母せむとは」と詠んだのに対して、「さもあらば あれやまと 心しかしこくば 細乳につけて あらすばかりぞ」と応えた。「ち」を「知」と「乳」に掛けた学知を使わずとも「やまとだましひ」は子に伝えられるものです、と夫人は謳った。

 

日本の教育の本道は昔から感染教育であり、感染学習であった。