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「書物」の美学

Life Heart Message 2018.01.22

 

1450 年頃はじめて書物が印刷された時、それまでは限られた少人数の人々だけが近づくことができたのは学問と芸術であった。教会は1 冊のミサ典書を購入するために、ぶどう畑を手放した。プリスキアヌスの2 冊の書物は、果樹園つきの一軒の家と交換されたという。このような状態であったことから、専門の筆写生やその道の芸術家が、長い忍耐の末、羊皮紙に書き写したもので、蔵書をもつ方は非常に豊かな人達だけに限られていた。極端な窮乏にいたるまでも努力した当時の数人の収集家の熱狂がなかったら、現在まで伝えられているギリシアの著作家のほんの一部分を所有していたにすぎないだろう。

 

詩人ペトラルカの『愛読書目録』は、ひとりのヒューマニストの誕生と成長を、はっきりと告知している。古典世界とその文化への強い歴史的関心。明確な古典主義的立場。これと不可分に結びついた原典志向を、その一モメントとする文献学的批判精神。彼は言った「私はウェルギリウス、ホラティウス、ボエティウス、キケロを読みましたが、一度ならず千度まで読みました。走り読みではなく、たちどまりたちどまりながら注意ぶかく読み、私の知能を傾けつくして耽読しました。夕べに消化すべきものを朝たべたのであり、年老いて咀嚼すべきものを若くして貪り食ったのです。それは親しく私のなかにはいりこみ、たんに記憶にばかりか、骨の髄にまでこびりついたのです。私の天性と一つに融けあったのです」

 

ペトラルカは「書物は、われわれを心底から楽しませてくれ、対話し、助言し、あるいきいきした深い親密さをもってわれわれと結ばれあうのです」と言った。当時の教皇・教会の堕落を、ペトラルカは「かつては崇められた教会なのに争いにあけくれる昨今は、泥棒の巣箱。善き人には策略が、祭壇と裸の聖像の中で、めぐらされているように見える。ああなんと変わりはてた態度か!神に感謝するために高く掲げられた、あの鐘が攻撃の合図とは」

 

彼は言う。「できるだけ多くの人々を救い授けることほど、幸福なことがあるでしょうか。これほど人間にふさわしく、また神に似たことがあるでしょうか。これをなしうるのになさないのは、高貴な義務をなおざりにすることであり、それゆえ、また人間の名と本性を放棄することだと思われます」。

 

ペトラルカのヒューマニズムは、知よりも徳を、真よりも善を、要するに「学」よりも「人間」を重要視した。そして「自己自身を知れ」を根本問題の1 つとして、人間が「より人間的」になろうとするその自己創造性のもっとも深い根源へと開かれてあることでなければならない。それは、人間存在をこえたものへ、生命存在の法理であるもっとも深く秘められたものへの視座があったのではなかろうか。

 

ショウペンハウエルは言った。「良書だけがわれわれを育て、われわれを啓発する」と。