「配慮」の美学

Life Heart Message 2018. 3. 5

 

細川三斎が老年になってある時、徳川頼宣の家臣渡辺一学に、自分も寄る年波で、今度国表へ帰ったら、またの参府はおぼつかないかもしれぬ。ついては一期の思い出に紀州家秘蔵の虚堂の墨跡を拝見したいと述懐した。頼宣はそれを聞いて心よく承引し、日を定めて茶に招いた。

 

さて茶室にはいってみると、床に掛かっているのは清拙の墨跡であった。いぶかしく思ったが茶事を終り、書院を退出しようとすると、廊下杉戸の際に、渡辺一学がさし控えていて、一つの掛け物を箱から取り出し、それを箱の蓋の上に置いて、御口上でございますという。

 

主人申しまするには、今日御意に副って虚堂の墨跡を御覧に入れるはずでありましたが、先般の御申入れには、寄る年波でまたの参府は覚束ないかもしれぬとありました。しかしながら主人頼宣といたしましては、幾久しく御長命にて、今後幾度も御参府あることこそ願わしいので、お約束ではあるが、今日はわざと虚堂の墨跡をさし控えました。

 

が、是非ご所望とあらばこの書院にてご覧に入れたく、ここに持参いたしました。これには細川三斎も大いに感じ入って、深いお心入れ、お礼の言葉もありませぬ。この上はなお幾度も参府、その節重ねて拝見致したいと幅を取って押しいただき、帰ったという。

 

昭和十二年八月、原三渓翁がなくなる前年、横浜の三渓園の蓮池の蓮の花が見ごろであるからという案内に和辻哲郎氏と谷川徹三氏は、指定の朝5 時に園内蓮池のほとりに迎えに見えた原三渓翁に案内され月華殿に入る。また夜が明けきらない室内で、塗りの飯器に蓮の葉をしき、その上に幾つかの紅い蓮の花の花弁を置き、その中に白飯を盛ったものが出る。それに蓮の実を入れた澄まし汁をかけて食する。床には断渓妙用の墨跡が掛かっていた。

 

三渓は低い声で全句を静かに誦された。「一夏同じく見る竺嶺の雲、眼中各自瞳人有り、明朝の雲は他山に向って看ん、まさに欄干に倚って君を帳望するなるべし」断渓の両峰堂に、客として滞在した僧が去る際に詠んだ詩であった。お斎が終わり、次の間で果物が出る。そのかたわらに後醍醐天皇の第一皇子遺愛の琵琶(銘は面影)がかざられていた。やがて長い渡り廊下を渡って茶室金毛窟にはいる。床に源実朝筆の観音像が掛かっていた。三渓先生は静かに茶をたてられた。

 

実は十数日前、先生は令嗣善一郎さんを失っていたので、この茶会はその追善の心をこめられたものであった。先生はそれを一言も口にせられなかった。ただ、その紅い蓮の花に盛った白飯をとり蓮の実の澄まし汁をかけて食べる浄土飯によって、さりげなく掛けた墨跡の別れの詩のこころによって、かざり琵琶の面影という銘に象徴し、床の一軸の観音の画像を描いた人の誰でもが知っている運命によって、その心中を無言のうちに語られた美学があった。