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「人格」の美学

Life Heart Message 2018.4.16

 

祝福の笑顔につつまれて、産声も高らかに誕生した赤ちゃん。生まれた瞬間には、人間は人格を持っていないと言われている。これは動物学上の分類における人類であるということである。不幸なことに1920 年にインドで、生後2~3 ヶ月でオオカミにさらわれ、オオカミによって育てられた少女が、イギリスの学者によって発見され話題になった。一人はすぐに死んでしまったが、もう一人は推定7 歳ぐらいで発見され、9 年ぐらい生きて16~17 歳ぐらいで死亡したのである。

 

この2 人はオオカミそのものであった。なんと、骨格が四つ足の構造になっていて、無理に立たせても、ちょうどチンパンジーが立って歩くようにしか立てなかった。不思議な動作は、ものを食べるときに皿を持たせても、すぐに下に置いてしまい、ペロペロなめる。

 

そんな食べ方しかできなかった。言葉は単語を約50 前後覚えたが発音はできるが、何を意味しているのかは全然理解できない。また耳で聞いた音をオウム返しに発音しているだけで、意味と結びつけては理解できなかった。単語を覚えても、単語と単語を結びつけるニューロンの結びつきができないために、考えるということができない。

 

しかし、オオカミの感性は立派に持っていた。さまざまな状況に対する判断、逃げなければならないか、このままいても安全か、オオカミとして積み重ねた体験や経験からくる知恵はあるのだが、言語を根底にした抽象的思考能力がまったくなく、人間にもどそうと大変な努力をしたが、とうとう理性を獲得できなかった。人間にもどそうという無理が祟ったのか。16 歳ごろに死亡したという。

 

この例から、人間の子どもに生まれても、オオカミに育てられたらオオカミになってしまう。これは、人間が人間になるのはそう簡単なことではない。人間の子どもに生まれて、両親の愛情と、学校教育、そして人間社会の中で成長して人間は人間になるのである。ゆえに人間にとって教育ほど大事なものはない。教育は人間英知の光源であり、人生の意味や目的を理解させ、正しい生き方を見いだせるものだからである。

 

人間の感性は生命を貫く原理であり、感じる力、学んで考える力、夢見る力、愛する力、創造する力、行動する力は、すべて、人間性あふれた教育者の人格から滲み出る情熱的感化力によって啓発されるものである。今日ほど青少年の心に、大いなる希望の種を蒔き、燻発しゆく教育者の責務ほど、重大なものはない。

 

「玉磨かざれば光なし」「中途半端にやる習慣を脱し、全体の中に、善きものの中に、美しいものの中に、決然と生きることを心がけよう」文豪ゲーテの言葉が胸を打つ。