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「器量」の美学

Life Heart Message 2018.4.23

 

幕末、外交に失敗した日本は、諸外国からいいように賠償金をむしりとられ、その上国際経済のルールをしらないために大量の正貨が流出し、経済危機をむかえたが、器量の大きい人物がいたために日本は自立できたのであった。封建体制を打ち壊し、凄惨な内戦があったが、国が四分五裂にならなかったのは、人がいたからである。薩長のみならず、日本全国から澎湃と人材が現れて、手を携え、あるいは角逐しながら仕事をしたからである。

 

西郷隆盛、伊藤博文、勝海舟、横井小楠、渋沢栄一など、明治国家の建設者の中で、策を弄して主君に取り入り、倒幕のためにありとあらゆる陰謀をめぐらし、政権奪取とともに、中央集権国家を作りだした大久保利通。彼は徹底した政治家であった。ある目的を実現するためには、手段を選ばず、手管を尽くして、目標にせまっていった。

 

政策は、他人から訊いて、よいと思ったものを実行する。本来政治を志す人というのは、誰でも自分なりの経綸、抱負というものを育んでいるものであるが、大久保にはそれがないところが驚きである。とにかく権力を握る。権力を有効に使い切る。その一点のみにすべての神経を注いでいった。この割り切りは、近代日本の政治家では大久保利通だけではないだろうか。

 

日露戦争の軍資金をイギリスで調達し、昭和の恐慌を二度にわたって救った稀代の財政家高橋是清は、平気で妻と妾を同居させていた。それでも足らず芸者を買っている。しかも政治家としての能力はほとんどゼロで、二度総理になったが、ごく短期間で政権を放りだしている。

 

軍拡に反対しつづけて、昭和の最大勢力である陸軍を敵にまわしたために2・26 事件で殺される。それでも庶民からはダルマ、ダルマと呼ばれて慕われていた。女にだらしないし、政治家としては頼りにならないが、この老爺が大蔵大臣をしていれば、景気は悪くならないと市井の人は知っていたからである。

 

今日の世間に是清が生きていたら、女性問題だけでマスコミで叩き落とされ、表舞台に登場することはできないであろう。怖いのは、人物観の平板さが殺すのは、人材だけではない。有能であっても、それだけで器量があるとはいえない。もっと全人格的な魅力、迫力、実力があって器量があるといえる。個人の粋、背丈を超えて、人のため、世のために働ける人。何の得にもならないことに命をかけられる尋常の算盤で動かない人間。結局、気にかける人、心を配る人の量が、その人の器量なのである。自分の事しか考えられない人は、いくら権力があり、富があっても器はないに等しい。

 

器という字には、神霊に繋がる要素があり、人間の心魂が天に帰る、無二の機会にのみ使われるため敬虔さが必要なのである。