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「心徳」の美学

Life Heart Message 2018.5.7

 

幕末維新に活躍した人物の中で、今日、横井小南ほど不遇な人間はいない。西郷隆盛や勝海舟をはじめ、錚々たる面々に思想的な影響を与えたにもかかわらず、あまり知られていない。

 

彼は、むしろ幕末維新史を語る上でのキーパーソンの一人であり、小南を抜きて維新はありえなかったと言っても過言ではない。交流のあった人々は、こぞって小南に一目を置き、龍馬、松陰、高杉に至っては師と仰いでいたのである。

 

実際、龍馬が作成した有名な「船中八策」「新政府綱領八策」は、小南が幕府に提出した「国是七条」と福井藩に提出した「国是十二条」をそれぞれ下敷きにしていた。また由利公正が起草した「五か条の御誓文」にも、小南の「国是十二条」の影響が色濃い。華々しい“革命家たち”の陰に隠れて目立たないが、その構想力、影響力からいえば小南こそ、まさしく「維新の青写真を描いた人物」と言える。龍馬は小南の話を聞いた後、姉乙女に宛てた手紙の中で「日本も今一度せんたくいたし申候」と書いている。

 

小南は「西洋文明はあくまで技術として優れているが、そこには徳はない。日本は東洋の徳のある文明をもとに、そこに科学文明を取り入れるべきだ」西洋の長所を生かした国家をつくり、覇道ではなく「仁義」に基づいた「富国強兵を超えた理想国家」となって、世界の世話を焼け、と説いて「富国有徳国家」にと言った。西洋の学問は、事業の学であって心徳の学ではない。事業は開け発展するが、心徳がないので人情に関することが分からない。

 

小南は塾生達に「古人の学というのは、書物のうえの修業ではなく、自分の心の修業である。したがって天賦の性能を生かし、日常事物のうえで工夫すること。学問の第一は、心において道理をきわめて、日常生活のうえに実現することである」と、また小南は功利主義をきらい、なにごとに対しても公平無私に、わがままな心があってはならない、誠心誠意をもってやることが大事であると教え、政治は道徳でなければならないと断言した。

 

すなわち、誠心誠意が治国平天下の基であると説き、自らその実学・実践に努めたのであった。その後小南は新政府の官職・参与となるが、明治2 年(1869)京都で61 歳の新春を迎え御所からの帰路、刺客の一団に襲われて死去。新政府首脳の衝撃は大きく、松平春嶽や大久保利通、広沢真臣、五代友厚、木戸孝允などの要人達は驚愕する。小南の底知れぬ感化力は彼の遺志を継いだ者は男ばかりでなく女性もいた。徳富蘇峰から横井小南の思想を聞いた文豪トルストイは驚嘆し「東洋にも、そんな偉人がいたのか!君、小南の遺稿を編纂しなさい!」と語っている。

 

小南の考え方は、180 年余を経た今となっても、決して輝きを失っていない。西洋文明の限界、東洋的な叡智、外交の要諦、共和の思想……いずれも現代に通じるものである。小南は「早すぎた思想家」だったのかもしれない。