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「恩師」の美学

Life Heart Message 2018.5.21

 

アルベール・カミュの書き残した手記(CARNES)の冒頭に、「ぼくのいわんとすること。人はロマンチスムからではなくても一過ぎ去った貧乏な昔に郷愁をいだくことがある。惨めな生活をした数年がつもりつもって、やがてそれがある感受性を形成してしまう……」この手帖はたんなる創作ノートという形をかりて、むしろ積極的にカミュはここで、自己を語ろうとしたからであろう。

 

「哲学の価値は、哲学者の価値によって決まる。人間が偉大であればあるほど、その哲学も真実である」ゲーテについて「彼は峻厳ではあるが寛容だ」「美は、とスタンダールにならってニーチェは言った―――幸福を約束であると。だが、その幸福自体が存在しなければ、一体なにを約束できよう?」「キルケゴールの心の純粋さ―――なんと駄弁の多いことか。だから、天才はかくもゆったりとしているのだ!」「あらゆる思想は、それが苦悩からひきだすものによって評価が決まる。ぼくは嫌悪感にもかかわらず、苦悩は一つの事実なのだ」「僕は美を外しては生きられぬ。そのことが、ある存在を前にしたとき、ぼくを弱くさせるのだ」「ぼくは際限なく美に生きてきた。つまり永遠のパンにだ」「金銭におもむくあらゆる生活は死だ。生の復活は利害にとらわれぬことにある」「人生の大問題は、人びとのなかでいかに過してゆくかを知ることだ」と、手記に書いていた。

 

1930 年10 月“世界の文学史上、まことに稀有な師弟”と評される事があった。それは17歳のカミュが32 歳の哲学教師ジャン・グルニエ先生との出会いである。戦争で父を亡くしたカミュ家は貧しかった。その上カミュは不治の病とされた結核に侵されていた。グルニエは、カミュが長く授業を欠席していることを心配し、貧民街にあったカミュ家を訪ねた。これが歴史に残る出会いとなった。教授が学生の見舞いに行くなど、当時は考えられなかった。

 

カミュは、愛情あふれる教授の振る舞いに胸を打たれ、その感動は師に対する誓いとなった。

 

「あなたがおられると感じるだけで私には大きな救いになります」と、グルニエ先生に書き送っている。師の慈愛に包まれて、カミュは文学に目覚めて、やがて作家の道を選んだその信条を「僕は人間を毒する不幸と悲しみの量を減らしたい」「真実の中で、真実のために生きるのだ」社会に出たカミュは、生活に追われながら執筆を続け、人生の理不尽さを直視する勇気を説き、その不条理に立ち向かう“反抗的人間”を描いた。さらにナチスと対峙し、人類の連帯のために奔走した。哲学者サルトルが「人格と行動と作品との見事な結合」と評したカミュの生き方は世界から仰がれ、人間の良心を取り上げた真摯な諸作品に対して、ノーベル文学賞が贈られたのである。

 

グルニエは、カミュの活躍を陰で支えて、すべての原稿に目を通し、助言を惜しまなかった。

 

カミュも恩師の真心を生涯、忘れることなく「私がほとんどすべてを負っている師として、さらにこれからもほとんどすべてを学ばなければいけない師として考えてきました」しかし、不条理なことに、カミュは自動車事故で46 歳で世を去った。涙でカミュを見送ったグルニエは「カミュは自分自身のためのみならず、万人のために(救い)を、従って(幸福)以上のものを追求していた」と、愛弟子の気高い志と努力に、心からの賛辞と感謝を捧げた。