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「決定的瞬間」の美学

Life Heart Message 2018.6.18

 

読書は若き青年の生活の一部となった。やがて彼はアルチュール・ランボーの詩に出会い、その魅力のとりことなった。もう一冊の愛読書は、シャルル・ボードレールの『赤裸の心』であった。そして映画と展覧会に関心をもった。目からの情報がいかに重視されるかを本能的な生来のものだったのであろう。足しげく通ったのはルーブル美術館だった。読み、描き、見る、彼にとってこれ以外にはなにもなかった。

 

マルセイユの街の店先で出会った1 台のカメラ「ライカ」を購入した青年こそ、アンリ・カルティエ・ブレッソンであった。「私はライカを見つけたために、それは私の眼の延長となり、以来いちども手放したことはない。繰りひろげられる生の一瞬を「罠にかけて」、「一枚の写真に」捉えようと、毎日街を緊張した気持ちで歩きまわった。」

 

ナチズムの台頭によって戦争がはじまり、彼にも召集令状がきて、軍隊に入る。ドイツ軍の捕虜となるが2 度の脱走失敗にもかかわらず、なぜか処刑をまぬがれ、3 度目の企てに成功する。この体験の教訓は、第一には生きのびるための体力、フランスという祖国の存在、同時に国家という枠組の理不尽さなどである。彼はこれ以後、あらゆる束縛を脱して、いっそう自由に生きようと決心する。

 

その後ある出版社の頼みで、アンリ・マティスの写真を撮ることになるが、撮られることが嫌いだったマティスは、彼の絵に対する知識と人柄に好感を得て、カルティエ・ブレッソンの写真集の表紙のデザインを引き受けることになる。また、ピェール・ボナールやジョルジュ・ブラックの写真を撮れる幸せを得る。ブラックはこの時哲学者オイゲン・ヘリゲルの『騎士的なる弓術』の本を彼に譲った。

 

心に響いたのは「矢を射るのに……術のない術とは、完全に無我となり、我を没すること……無になる、ということがひとりで起これば、その時あなたは正しい射方ができるようになる」

 

これは写真を撮るときの作法に通じ、カルティエ・ブレッソンの心構えとなった。戦争報道の名をなした5 人のカメラマンがつくる「マグナム・フォト」に参画し、活躍する。「私は顔が意味するものが好きだ。なぜなら、そこにすべてが書き込まれているからだ。」と、ジャコメッティ、アーサー・ミラー、ジュリー・ハリス、ロバート・ケネディーなどを撮る。ドゴールの撮影は訪れなかったが、将軍の葬儀の写真となった。

 

「私にとって写真とは、一秒の何分の一の間に出来事の意味をとらえ、それにふさわしいフォルムをあたえ、的確に配置することだ。生きることに通じて、まわりの世界に気づくとき、私たちは同時に自己を発見する。自分の内面と外の世界がうまくバランスをとらねばならない。

 

この二つの世界がやがて一つになる。私たちが伝えるべきなのは、この統一された世界なのだ。」「私が尊重しているのは慈悲です。それが大切なものなのです。慈悲、または憐れみ。慈悲の方が能動的かもしれません。」「私が嫌いなのは自動カメラです。みな怠け者です」とアンリ・カルティエ・ブレッソンは言った。彼は60 歳をすぎて絵を再開すると、毎日のようにスケッチブックやキャンバスに向かった。2004 年8 月3 日逝去。……慧光照無量