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「一路」の美学

Life Heart Message 2018.8. 20

 

日本においては、理論的に精細ですぐれているという芸術論はほとんど見いだされず、すぐれたものの多くは、すぐれた芸術家が深い体験にもとづいて述べた、感想文風のもののなかに見いだされる。大体において、教育論的意味や、秘伝を子孫に伝えるために書かれたもの、さらにあるいは、門人や知人が聞き書きしたものに分類することができる。大観するとき、平安時代末期から鎌倉時代初期の歌論、室町時代の能楽論・連歌論・室町時代末期から江戸時代初期の茶道論、江戸時代初期の俳論において、それぞれ高い峰を形成したといえる。

 

詩歌論の出発は古今和歌集仮名序の「やまと歌は人の心をたねとして よろづの言の葉となぞなれりける」とあり、日本の歌は、人間の心をもととして、さまざまの言語表現となっていた。「もののあはれを知る心なり」それは人の心を深く感動させる力をもっているという自覚があった。また、和歌の第一義は、余情と余韻を大事にしていた。そして、幽玄の尊重という美の理念が何よりも、まず制作者の心法と切り離しがたいものであった。

 

「わづか三十一字にいへる心は切に覚ゆるゆゑにこそ、天地(あめつち)を動かし」と、歌は優美であることをもって本体とするとあるが、その根本は、自分の心によることから、あまり意識して技巧を弄すると必ずみにくくなる。ゆえに、素直さを尊重し、人工的なことを嫌い、自然らしさを愛する日本人の性情と密着している。「やすやすとありのまま」である態度は、日本の芸術論の重要な骨格の一つとなっている。

 

世阿弥は、最も高い境地に至っている芸は、「まさしく造作の一つもなく、風体心をも求めず、無感の感、離見にあらは」れるものであるといっている。「風雅に万代不易あり。一時の変化あり。この二つに究まり、そのもと一つなり。その一つといふは、風雅の誠なり」芭蕉はつねに「新しみ」を追求して人であった。彼がいかに「新」ということを重んじ、その追求のために、身も細るばかりであったが、去来も「一風に長くとどまるまじき」「心においても身においても住することなく、留まらず、滞らず。」というような思い。まさに芸術における「新」は風俗上の「新」などとは根本的に違うものである。それは、つねに永遠性を目ざし、永遠性につながる「新」でなければならず、真実の追求を通じて初めて獲得されるものである。「新」追求の芭蕉が、単なる流行歌手に堕ちず、真の詩人でありえたゆえんがある。

 

この世の現象をつねに「無常の観」で凝視し、「西行の和歌における、宗祇の連歌における、雪州の絵における、利久の茶における、その貫道するものは一いつなり。」という芭蕉の有名な言をも、ここに想起できる。すぐれた芸術を貫道する永遠なるものは、彼の心眼にはっきりと見えて、その永遠的なものが、彼を呼び求めていた。芭蕉は「古より風雅に情(こころ)ある人々は、後(うしろ)に笈(おひ)を掛け、草鞋(わらじ)に足を痛め、破笠(やれがさ)に霜露を厭うて、己が心を責めて、物の実(まこと)知ることをよろこべり」と、一路歩みたり。