· 

「惻隠」の美学

Life Heart Message 2018.9. 10

 

最強台風の次は、北海道の大地震が日本列島に襲いかかった自然の猛威。その被災地の方々に心よりお見舞い申し上げます。

 

被災の只中にあって、冷静に我慢強く、秩序正しく対応する礼儀の良さ、忍耐強い日本人。

譲り合う心の素晴らしさ、略奪や暴動が始まる海外の国と違う日本人の心根の美しさがあった。

 

古来日本の国柄は「和らぎを以って貴しとなす」を根本に「あわれむ心」「恥じる心」「譲り合う心」「善悪を判断する心」の感情が内在していた。また人類皆平等であること事も根底にあったといえる。

 

昭和12 年(1937)関東軍によるユダヤ人擁護に対するドイツの講義を突っぱねたのは、当時中将で関東軍参謀長の東條英機であった。翌年、ソ連国境において大量のユダヤ難民を関東軍と満鉄が救護した際にもドイツの抗議があったが、東條は毅然としてこれを撥ねつける。日本政府は「ユダヤ人対策要綱」として明文化し、「我国は他国民を差別せず」を国家的性格とした。これを背景として、杉原千畝の「命のビザ」は成ったのである。

 

外務省やソ連からの退去命令を無視しながら杉原は「武士(もののふ)の心」をもって決断し、ビザの発給を続行する。杉原の勇気によって命を救われた6 千人は三世代を経て、3 万2 千人を数えた。

 

カウナス駅でベルリン行きの列車に乗り込んでからも、窓から身を乗り出して発車間際まで杉原は許可証を書き続ける。列車が動き始めた時、ホームに残ったユダヤの人々に頭を垂れて次のように言った。「許して下さい。皆さんのご無事を祈っています」武人が祈るとは泣くことであり、許せとは死ぬことである。涙の理由を識るからこそ、日本人による善行の数は後が絶えず、度重なる災害を前にしても強いのだ。

 

昭和25 年(1950)6 月、朝鮮戦争勃発の折、ソウルに攻め入った北朝鮮軍兵士が乳飲み児を抱いた韓国人女性を射殺、投げ出されて泣き続ける赤児を救い上げた女性こそ、日本人女性望月カズ23 歳であった。彼女は東京生まれで、父の他界後、母に従い4 歳で満州に渡る。母の商いは軌道に乗るが、2 年後母の病死によって境遇は急変する。使用人に満州の農家にカズを「農奴」として売り飛ばされる。売られた先の家でカズは日本語を使うことを禁じられた。

だが、関東軍に救いだされたカズは、身柄を預かった軍隊内で読み書きその他を教育されたのち独立。

 

終戦後、日本に戻ったが、親戚も知人の一人もいないため、朝鮮半島のソウルへ、その時戦場で赤児を抱きとめることになる。カズはソウルを逃れて釜山(ぷさん)に向かう途中、瀕死の幼い姉弟2 人も救う。釜山に辿り着いたカズはバラックを建て、埠頭で荷下ろしなど手伝い、その日銭で3 人を養った。自分を売り飛ばし、こき使った他民族を恨みもせず、カズが育てた韓国人孤児は133 人を数えた。やがてカズの存在は韓国人社会にも知られ、孤児達を育て始めた朝鮮動乱にちなみ「38 度線のマリヤ」と呼ばれた。

 

昭和40 年(金)1965)6 月「日韓基本条約」が締結され、国交回復。6 年後、韓国政府は長年の功績を称え、カズを「国民勲章・冬柏章」に叙した。