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「天賦」の美学

Life Heart Message 2018.9. 17

 

明治44 年9 月、東京下谷の職人の家に生まれた少年は、2 歳から9 歳までには、子どものいなかった鍼灸師の伯父の家にあずけられて育った。ジフテリアの後遺症で喉をいためたこの少年は、言葉がうまくしゃべることができなかった。だが、抜群の記憶力をもつ利発な少年に成長していった。

 

小学時代の彼は言葉が苦手であったが、作文を書かせると天下一品で、教師は彼の作文を皆の前で読み上げるのが常であった。この頃から手から気のエネルギーを送って同級生に催眠術をかけて、歯痛に苦しむ友達をみるみる治し皆を驚かした。この彼の一生に決定的な転機をもたらしたのは、大正12 年(1923)9 月1 日、関東大震災だった。焼け野原となった帝都東京の住民たちは、財産も家も、何もかもすべてを失い、人間の裸の条件にむかれ苦しんでいた。

 

彼は12 歳であったが、病に苦しむ人びとを見ていられず、手を当てて、愉気をしてみた。するとよくなってしまった。それが人々に伝わり、あちこちで頼まれるようになった。

 

彼が15 才歳の時に書いている。「我在り、我は宇宙の中心なり、我にいのち宿る。/いのちは無始より来たりて無終に至る。/我を通じて無限に拡がり、我を貫いて無窮に繋がる。/いのちは絶対無限なれば、我も亦絶対無限なり。/我動けば宇宙動き、宇宙動けば我亦動く。/我と宇宙は渾一不二、一体にして一心なり。/円融無礙にして已でに生死を離る。況んや老病をや、/我今、いのちを得て悠久無限の心境に安住す。行住坐臥狂うことなく冒さるること

なし。/この心、金剛不壊にして永遠に破るることなし。ウーム。大丈夫。」

 

この少年こそ「昭和のラスプーチン」と呼ばれた、驚異的な治癒力をもつ整体師として、生前からなかば神話化された存在だった野口晴哉である。どこでも治らないと言われた癌が治り、動かなかった足が動くようになる。人々はそれを「奇蹟」と呼んだ。本人は、そういう見方を否定した。他者の苦しみに向かって自然に手が伸び、それを助けようとする強烈な慈悲の力が内蔵されていて、人間は本来、その慈悲の力に導かれながら、お互いに助け合うような関係を生きるものだと、彼は考えていた。

 

独学であったが、東西の厖大な読書と、透徹した眼力をもち、深く広い愛に突き動かされて、人びとに、内なる生命を発揮することが根本だ。本当の知恵もからだの治癒も、外からではなく、内側からやって来る。みずからの生命に内蔵されている野生の知恵に依処すべきだ。生命に対する直覚が自然にはたらき、するすると楽になるためには、生き方や物の見方が変わらなけばならないと言った。一番大切な生命に対する直感や敬意を失わせることなく、それを深めて、自発、自律的な秩序形成によって美が感じ取られるところに文化の創造がある。

 

野口晴哉の遺書に「……物の学あれど生物学無き也 生のこと説きても物の学につかえて判らぬ世 これを超える判る人あれば我は又説く也」享年65。 墓碑には、彼の好きだった「清風万里」と、刻まれていた。