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「論議」の美学

Life Heart Message 2018.10.15

 

初期ギリシャの哲学的・宗教的ならびに文学的伝統における頂点を示したプラトン哲学は、古代から今日に至るまで影響を与え、その高き水準にまで達した例は極めて稀であった。彼の対話篇は、哲学的な観点からも文学的な観点からしても、ヨーロッパ精神史の土台を成すテクストである。対話形式における真理探究のあり方を通し推敲された、以来、それはいかなる哲学的な討議にとってもお手本であり続けた。弁証家として、宇宙の探求者として、形而上学者にして神学者として、また政治思想家にして教育者として、高く評価さて影響を及ぼしたのである。

 

それは、中世、ルネサンスから近代に至る文学や芸術上にも及んでいる。フロイド、ユング、フーコー、20世紀に入ってもなお、ハイゼンベルグのような重要な自然科学者にも知的刺激を与えている。正と不正、善と悪、人間による認識の可能性、人間界と宇宙における秩序、神々の役割など、プラトンにとって存在論は倫理学と固く結ばれ、理論は実践に移し、行き詰まり(アポリア)を、正しい道にもどすことを告げている。

 

プラトンの青春時代は、スパルタとの戦争、シシリー遠征の破局、アテネ内の寡頭派による政権転覆、アテネ艦隊の壊滅、アテネの決定的な降伏などの昏迷の時代であった。だが、プラトンの精神的発展に最も深く刻まれた体験は、何よりもその青年期におけるソクラテスとの出会いである。

 

紀元前399年、宣誓した500人の裁判員から成る裁判によって、師ソクラテスが有罪判決と処刑は、政治の正義についての誤った原理的な機能不全に、プラトンはアテネの政治から身を引くことを決定的にした。そして真理の認識を準備するために選び抜かれた若者たちの共同体として、プラトンはその学園アカデメイアを開設する。この哲学的な共同生活と、数学や天文学、植物学、動物学、論理学と弁論術、政治学と論理学の振興であった。定位すべき最高の収斂点は善の原理であり、あらゆる人間の意欲の目標と見なされた。プラトンのアカデメイアは、授業料が無料であった。学園はプラトンの財産によって賄われていた。

 

人間は愛する者が美しい肉体を慕うように、知識を慕う。プラトンにとって哲学のエロースは母親のぺニア(欠如の意)のせいで、貧乏で物に事欠くが、父親のポロス(切り抜けるの意)から善にして美なるものへの衝動を受け継いでいたからである。個々の肉体や個々の行為の美しさに満足することなく、美そのものへと自らを高めようと望む美に対する希求は、プラトンにとって哲学の範型となっていた。

 

プラトンの最も重要な弟子であるアリストテレスは、プラトンのもとで20年の長きにわたって研究しかつ教えたが、プラトンの教説の本質的な部分からきわめて遠くに対抗しつつ立っていた。プラトンの総合的な見方が、アリストテレスにおいては細分化された論であり、まさにこのことが、人々を自らの思考とテクストについての絶え間ない議論への刺激するところにこそ、プラトンの意図したことだったのではなかろうか……