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「素直さ」の美学

Life Heart Message 2018.10. 29

 

順徳天皇は、承久の乱(1221 年)の時25 歳であった。その後、佐渡に移られて、仁治3年(1242)46 歳で生涯を終えていた。歌集に『順徳院御集』があり、その中の『八雲御抄』には、「正義部」「作法部」「枝葉部」「言語部」「名所部」「用意部」の全六巻から成る大部の歌論書の「用意部」の一節に「わざとやさばまむとすること。是非をはなれて、これを好み求むれば、最も見苦し。歌はやさしきをもちて本とすることなれど、ただおのれが心によることなれば、やさしく好み詠まむにも、好まざらむにもよるべからず。あまりに詞をやさばみて、むすぼほれつづきてのみあるも、返す返す見ざめすること多し。これ歌道一つに限らず、管弦・音曲なども、おもしろからむと、こしらへちぢまかせば、必ず聞きにくし。ただ強く正しくすることの、功もいりぬればおもしろきやうに、歌も心を本として、そのうへ詞を求むれば、自然にやさしきこともあるなり。」ここで取りあげられているのは、心を尊重して、わざとらしさを拒否し、素直さを尊ぶ態度と密着している。

 

芸術において、このように素直さを尊重することは、人工的なことを嫌い、自然らしさを愛する日本人の性情と関係している。「まことによくよく幽玄をむねとして詠むべきことなり」「やすやすとありのまま」である態度を尊重することとも通じている。「心を工(た く)み風情を飾る句は、当座はおもしろきやうなれども、五句の内に二、三句は非道の方へ行く連歌あり」と『長短抄』にある。

 

世阿弥は、最も高き境地に至っている芸は、「まさしく造作(ぞうさ)の一つもなく、風体心を求めず、無感の感、離見の見にあらは」れるものであるといっている。こういう芸をする人を「遊楽の妙風の達人」だとしている。俳諧の上で、初心、上手、名人の相違を指摘して「初心を離れて上手に至り上手を離るるところ名人ならん」また、「いつはりを除きて、まことをのみいひ述べんと、力を入れ案じ侍るは、いつはりいふにはまさりたれど、これもまた、まことを作りたる細工の句にて侍り。この道を修し得たらん人の虚実のふたつに力を入れずしていひ出すところ、句ごとにいつはりなきことをこそ、おのづずからのまこととはいひ侍るべけれ。これなん常の心にいつはりなく、世のあはれをも、深く思ひ入りたる故なるべし。」( 独言(ひとりごと))といって、その信条とした「まこと」を追求することすら、意識しすぎることを拒否している。

 

最高のものには、目立つおもしろさなどはなく、至れるものが身につけた素直さ、自然。素直さに出発し、素直さに帰る。この日本の芸術論の重要な骨格の一つとなっているのではなかろうか……。